Nostalgic近畿 1号室 紀勢本線東部・参宮線
紀勢本線は三重県の亀山から山間部を南下して津に至り、そこから海辺に出ることなく松阪、多気へと中勢の丘陵地帯を走っていく。多気で参宮線と分岐する。亀山-多気間は紀勢本線と参宮線直通列車のいずれも見られるわけだ。この頃、紀勢本線の客車列車はDF50、貨物列車はだいたいD51、一部DF50、参宮線直通客車列車はC57という分担だった。三重県の中でも気候温暖でのどかなこの地域を行く蒸機とDF50たちの姿をご覧いただきたい。
『櫛田川の雨』 824列車 C57198 紀勢本線徳和 1971.3.31
櫛田川橋梁では菜種梅雨の雨がザーッと降り続いていた。シゴナナの牽く亀山行きは雨に打たれるのを楽しむかのようにゆったりと渡って行った。
亀山のシゴマル C50154 1971.3.30
シゴマルというのは地味な罐だった。いたるところで入換にいそしんでいたが、列車を牽いている姿を私は稲沢線以外では見たことがない。
『雨の亀山駅』 D51882,209 1971.3.31
亀山駅では2機のデコイチが並んでいた。奈良のD51882と稲一のD51209だ。いずれも集煙装置付きだが、882が付けているのが後藤式、209が長工式と呼ばれているものだ。稲一の209が集煙装置を付ける必要はないはずだが、この罐はこの1ケ月ほどあとに中津川へ転属したようだ。
『菜種梅雨のころ』 821列車 C57146 紀勢本線下庄 1971.3.31
1971年の春、関西線、紀勢線、和歌山線を巡る長い撮影旅行に出た。初日の関西本線島ケ原に続き2日目の紀勢本線も雨の幕開けとなった。思えば菜種梅雨の季節である。
『雨にも負けず』 893列車 D51691 紀勢本線下庄 1971.3.31
結構な降りの中、雨にも負けずデコイチが長編成を牽いてやってきた。ひとたび遠征に出てしまえば雨だからといって撮影をあきらめるわけにはいかない。雨合羽を着込んで、こちらも雨にも負けずだ。
(2020.7.24音声公開。視聴にはイヤホン、TVほかの外部スピーカーへの接続を推奨)
『棚田のある鉄道風景』 135列車 DF5062 紀勢本線下庄 1971.3.31
そぼ降る雨の中、棚田の向こうをDF50が各駅停車を牽いてしずしずとやってきた。DF50というディーゼル機関車はC58程度の出力しかない。勾配にかかるとガクッと速度が落ちてしまう。私と同様、DD51は蒸機を追いやるかたきと感じてあまりカメラを向けなかったご同輩も多いと思うが、このDF50は亜幹線ではかなり早くから蒸機とも共生しており、私は結構撮影した。
『北勢の丘陵地を行く』 1892列車 D51614 紀勢本線下庄 1973.3.27
下庄あたりの北勢地方の丘陵地は松が多かったように思う。春うらら、松林をぬって駆けるデコイチのブラストも軽やかに聞こえる。
『早春の北勢を行く』 826列車 C57198 紀勢本線下庄 1973.3.27
松林の間をC57198が各駅停車を牽いてやってきた。まだ気温が上がらないこの時季、白煙が美しい。198号機は関西・紀勢線では珍しい4次形のシゴナナだった。
『高茶屋駅の朝』 122列車 DF503 紀勢本線高茶屋 1972.3.22
通勤時間の高茶屋駅、122列車が出発を待つ。タブレットの受け渡しは助役さんの重要な仕事の一つだ。
『徳和の春の朝』 122列車 DF507 紀勢本線徳和 1973.3.27
春とはいえ朝の空気はまだ冷たい。斜光線の中DF50の牽く各駅停車が徳和駅に進入してきた。
5183列車 DF5038 紀勢本線徳和 1973.3.27
徳和の朝、相次いでDF50がやってきた。この貨物列車は、DF50牽引ということは多気より先は紀勢本線を下って行くのである。
821列車 C5726 紀勢本線徳和 1970.12.20
朝の光の中、参宮線直通伊勢市行を牽いてC5726がやってきた。亀山区のシゴナナは名古屋区の罐と違い集煙装置を付けているものもいた。初めて見たときは陣笠のようでスマートなシゴナナには似合わないなと思った。この罐がつけているのは鷹取式と呼ばれるタイプである。現在26号機は遠く関東の行田市で保存されている。
天王寺発名古屋行夜行鈍行926列車 DF505 紀勢本線徳和1970.12.20
長編成の天王寺発名古屋行夜行鈍行926列車を牽いてDF505がやってきた。天王寺を昨夜22:40に出発しているのでおよそ12時間走り続けてきたわけだ。この時代、924列車は紀伊長島発名古屋行で夜行鈍行ではない。
828列車 DF505 紀勢本線徳和 1970.12.20
DF50が828列車を牽いてやってきた。この列車は多気発松阪行。始発からわずか2駅先が終着である。
『徳和駅の列車交換』 893列車⇔840D D511054,キハ3043 紀勢本線徳和 1970.12.20
徳和駅でデコイチの貨物列車とキハ30のローカル列車が交換する。戦時形D51は60年代終わりには地元の稲一区にはいなかったので、この腰高の船底形テンダーは物珍しく暫し見入っていた。
『伊勢の朝』 821列車 C57146 紀勢本線徳和 1972.3.22
穏やかに晴れた伊勢地方の丘陵地をブラストも軽やかにシゴナナが駆けていく。朝日を受けた白煙が美しい。
『竹林をかすめて』135列車 DF5059 徳和 1970.12.20
竹林をかすめるようにしてDF50の牽く草津発和歌山市行各駅停車がやってきた。塗色の4号朱色が竹林に鮮やかに映えた。
『伊勢茶の里を行く』 135列車 DF503 紀勢本線徳和 1972.3.22
伊勢茶の里を赤い機関車が青色やらぶどう色やらの旧客を引き連れてエンジン音もにぎやかにやってきた。
(2020.5.22音声公開。視聴にはイヤホン、TVほかの外部スピーカーへの接続を推奨。)
『天王寺発名古屋行夜行鈍行』 924列車 DF5053 紀勢本線徳和 1972.3.22
伊勢の丘陵にズルツァー型のポンポンポンという独特のエンジン音を響かせてDF5053がやってきた。この天王寺発名古屋行夜行鈍行924列車はここまでに解結を繰り返してくるので荷物車を途中に挟みこんでいる。(2022.3.25列車番号訂正926列車→924列車)
『竹林を行く』 1892列車 D51 紀勢本線徳和1972.3.22
中勢のこの辺りは竹林が多かった。デコイチの吐き出す白煙が竹林に映える。
『伊勢茶の里にて』 826列車 C57146 紀勢本線徳和 1972.3.22
茶畑の広がる丘陵を青色ぶどう色混成の旧客を牽いたシゴナナが駆け下る。
『伊勢の茶畑を行く その1』 821列車 C57198 紀勢本線徳和 1973.3.27
茶畑の向こうを伊勢市行ローカル列車がやってきた。参宮線直通列車は亀山区のシゴナナの仕業だった。198号機は東海地区では珍しい4次形のシゴナナだ。
『伊勢の茶畑を行く その2』 821列車 C57198 紀勢本線徳和 1973.3.27
3月下旬、伊勢の丘陵にはお茶の葉が青々として陽光にきらめいていた。駆け抜けるシゴナナのブラストもうきうきとリズミカルに聞こえた。
1192列車 DF5032 徳和 1972.3.22
DF50が短い貨物列車を牽いてトコトコとやってきた。DF50というと旅客列車のイメージが強いが、紀勢線では貨物列車も牽引していた。この頃ここではC57、D51、DF50が見られたがC57とD51は参宮線直通列車に充当されていた。この1192列車は多岐以南の紀勢線からの列車である。
『西日の中を』 126列車 DF5040 紀勢本線徳和 1972.3.22
西に傾いた春の穏やかな日ざしの中を、DF50が和歌山市発亀山行普通列車を牽いてやってきた。
紀勢本線に運用されるDF50は亀山区に集中配備されており、そのすべてがズルツァー(スルザー)形だった。
『櫛田川橋梁を渡る』 1891列車 D51885 紀勢本線徳和 1973.3.27
春の日差しあふれる櫛田川をワムを連ねてデコイチが渡っていく。桜の開花だよりが待ち遠しい頃だった。
『外城田の果樹園にて』 1892列車 D51 紀勢本線外城田 1973.3.27
何の果樹園なのかは分からない。お婆さんは手入れにいそしんでいた。デコイチのロッド音がカランコロンと鳴り響いた。
『志摩の入り江沿いに』 825列車 C5726 参宮線鳥羽 1969.3.24
参宮線の混合列車894列車 C5726 参宮線鳥羽 1969.3.24
国鉄参宮線は近鉄鳥羽線と競合関係にある筈なのだが、遅くまで混合列車が走っていた。
風光明媚なこの路線なので、ローカル線の象徴のような混合列車も景色によく馴染んでおり違和感は覚えなかった。
『鳥羽の入り江にて』 単機回送 C57145 参宮線鳥羽 1969.3.24
陽光燦燦、鳥羽の入り江をシゴナナの単機が駆け抜ける。
『伊勢の浜辺を行く』 827列車 C57145 参宮線鳥羽1969.3.24
伊勢湾の奥まった入り江は波も穏やかで海苔の養殖場が広がっている。穏やかに晴れ上がった春の日、そんな浜辺をシゴナナの牽くローカル列車が駆け抜ける。
『伊勢志摩を駆ける』 828列車 C577 参宮線鳥羽 1969.3.24
素晴らしく晴れ渡った伊勢志摩の入り江を汽笛一声、各駅停車を牽いたシゴナナが駆け抜ける。「今は山中、今は浜、今は鉄橋渡るぞと・・・」唱歌「汽車」の世界がそこにはあった。
『種別変更列車』 894列車 D51882 参宮線伊勢市 1969.3.24
伊勢市駅ではD51882号機が貨894列車の先頭で出発待機していた。この列車は変わり種で、午後に鳥羽で撮影したときは混合列車でC57が牽引していた。伊勢市からは客車を切り離して貨物列車となりデコイチが牽引するのである。この罐は後に、デフレクタに「三日月に跳ね鹿」マークが取り付けられて人気を博したが、このときはまだ何の変哲もない。
『参宮線を行く混合列車』 混896列車 C5726 参宮線鳥羽 1969.3.24
鳥羽の田んぼの向こうをシゴナナが伊勢市行混合列車を牽いて駆けていく。参宮鉄道として明治の代に開通した参宮線もこの頃はすっかりローカル線の風情であり、貴婦人と呼ばれたライトパシフィックのシゴナナに混合列車は似合わないなあと思った。