Nostalgic九州 1号室 筑豊本線・田川線・日田彦山線・大村線・松浦線
半世紀近く前の北九州は蒸機の宝庫で、9600、D60、D51、D50の牽く運炭列車が至るところを走っていた。亜幹線の客車列車の先頭はライトパシフィックのC55やC57が主役だった。C55は既に名古屋地区から姿を消していたが、スポーク動輪を持つ彼女の流麗なスタイルを目の当たりにして、たちまち虜になってしまった。ローカル線ではC11や8620が各地の風景によく馴染んでいたと思う。
『闇夜の出で立ち』 9600+9600 日田彦山線伊田 1970.3.23
2機のキューロクが黒煙を上げて出発準備に余念がない。安全弁からは蒸気が噴き上がり火床の燃焼は十分のようだ。
伊田のあたりでは、田川線、日田彦山線、伊田線、添田線が網の目のように交差し、昼夜を問わず運炭列車が走り回っていた。
次位の9600は、福岡県在住の来館者J様より、キャブ下部の点検窓、標準デフ、化粧煙突等の特徴から69615であるとご教示いただいた。
『初めてのハドソン 』 C6024 長崎 1967.5
余りにも稚拙な写真で恥ずかしい。ピン甘、極端な露出不足。それでも最新のデジタル技術でなんとか見られるレベルまで補正できたことに感謝したい。
父親に連れられて訪れた九州長崎で初めて見たハドソンC60は神々しくさえ見えた。
『在りし日の若松機関区』 88622,C5546ほか 1968.8
若松機関区事務所2階からの眺めだ。8620に挟まれて見えているのは大型門鉄デフのC5546だ。この罐は大分市で保存されているが気の毒なことに53号機の身代わりにさせられている。なお、機関区内は許可を得て撮影している。
『大正生まれの大型貨物機と中型旅客機』 D50205,38629 若松機関区 1968.8
このデコマルとハチロクは同じ大正生まれだが、随分大きさが違う。デコマルは幹線用大型貨物機でその後継がデコイチだ。一方ハチロクは中型旅客機で晩年は地方ローカル線で無煙化直前まで活躍した。
『美しきライトパシフィック』 C5515 若松機関区 1968.8
C55という旅客機は均整が取れたスレンダーなボディを持つ美しい罐だ。細いボイラー、スポーク動輪、鋳鉄台車枠のテンダーの取り合わせは、貴婦人といわれるC57をも凌駕していると私は思う。特に門鉄デフの罐はボイラーの細さが際立ち、最も美しい機関車だと思う。
『後ろ姿美人C55』 C5512 若松機関区 1968.8
この頃は若松区にはC57はいなかった。見かけるパシフィックはみなスマートなスポーク動輪のC55ばかりだった。
前から見ても横から見ても、後ろからさえも美しいその姿に時を忘れて見とれた。この12号機は2年後筑豊を再訪したときに見つけられなかったが、この年の暮れ他界してしまったと聞く。(2017.10.27一部修正)
『若松のデコマル』 D50208 若松機関区 1968.8
優美な姿のデコマルが機回しをしていた。キャブ前部に取り付けられた長い庇が印象的だった。この208号機はこの年の暮れに廃車となり2年後再び九州を訪れたときに再会することはできなかった。
『香春岳を背に』 462列車 19688 田川線内田(信) 1970.3.23
黒煙もうもうとキューロクの牽く運炭列車がやってきた。ゴットンゴットンゴットンとセラのジョイント音が延々と続いていた。
『バック運転も軽やかに』 429列車 C11349 田川線内田(信) 1970.3.23
C11がバック運転で軽やかに駆け抜ける。田川線の下り客車列車はC11の逆向運転だ。もともと都市近郊旅客列車の多頻度輸送用に開発されたC10の改良版であるこのタンク機関車は後方視界が良好なため転車台による方向転換を必要とせず、これが見慣れた姿だった。
『キューロク筑豊を行く』 6492列車 29651・・・29608 田川線内田(信) 1970.3.23
キューロクが運炭列車を従えてやってきた。この頃の筑豊地方ではどの線でも運炭列車が次々とやってきて暇を持て余すことはなかった。(2018.3.9列車番号および後部補機番号追記)
セキとセラを連ねているので、てっきり運炭列車だとばかり思っていたが福岡県在住の来館者J様より「この列車は船尾発苅田港行で、この頃の積荷はセメント原料土か石灰石だろう」とご教示いただいた。(2019.12.25追記、音声公開)
434列車 C11300 田川線内田(信) 1970.3.23
C11が各駅停車を牽いてやってきた。筑豊のローカル線の日常的な光景だった。
『セラを連ねて』 79668 田川線内田(信) 1970.3.23
筑豊らしいなだらかな丘陵地をセラ群を率いたキューロクが駆け下ってきた。
『筑豊の運炭列車』 9600 日田彦山線伊田 1970.3.23
底開きの小ぶりなセラを連ねた姿が筑豊の運炭列車だ。バックにそびえるのが筑豊名物の石灰岩の山香春岳だが、すっかり掘り尽くされて今では変わり果ててしまったと聞く。
469列車 79657 日田彦山線伊田 1970.3.23
不揃いのセラを連ねてキューロクの運炭列車が出発していく。筑豊は列車密度が高いので早くから色灯信号化されていた。(2018.3.9列車番号追記)
『ドレインに包まれて』 438列車 C11349 田川線伊田 1970.3.23
C11が通勤列車を牽いて伊田駅を出発してきた。切り終えたばかりのドレインが客車を覆い隠し、
斜光線の中、門鉄デフが浮かび上がった。
『門司港の夜に佇む』 D5090 鹿児島本線門司港 1970.3.23
この頃若松機関区には90,140,205の3機のデコマルが在籍していた。鹿児島本線の起点門司港駅の夜、D5090が佇んでいた。パイプ煙突に取り替えられているのが惜しいが、大正罐らしい曲線とスポーク動輪、門鉄デフが美しい罐だった。
『大村湾の静かな朝』 891列車 D511062 大村線小串郷 1970.3.24
本当に静かな春の朝だった。デコイチのカットオフされたブラストも控え目で耳に心地よかった。
『大村湾を背に』 826列車 C57124 大村線小串郷 1970.3.24
大村線は関西本線同様、旅客はC57貨物はD51と区分されており親近感を覚えた。朝日を受けた大村湾とシゴナナの白煙が美しい。
(2021.1.22音声公開。視聴にはイヤホン、TVほかの外部スピーカーへの接続を推奨。註:画像と音声は列車が異なる)
早岐のハチロク 48647 早岐 1970.3.24
早岐では48647が入換にいそしんでいた。このときもう50歳になろうとしていたが、とてもそんな歳には見えない色艶だ。今も高千穂町で保存されていると聞くが荒廃させないことを望みたい。
『意表の三重連』 429列車 C57155+D511150+C57174 佐世保線早岐 1970.3.24
早岐駅に進入してくる429列車を待っていた。なにやら罐が何輌も連なっているではないか。すわシゴナナ3重連かと思ったが、真ん中はデコイチだった。それでも予期せぬ3重連に得した気分だった。
混633列車 C11284 松浦線調川 1970.3.24
混合列車を牽いてC11が出発していく。バック運転が楽なこの罐は全国各地のローカル線で重宝されていた。
(2020.3.13音声公開。音声は浦ノ崎-今福間の車上音。視聴には外部スピーカーへの接続を推奨。)
『伊万里湾を背に』 58648 松浦線調川 1970.3.24
松浦線の静かな朝、伊万里湾を背にしたハチロクの白煙が目にしみる。
『松浦の静かな朝』 632列車 C11336 松浦線調川 1970.3.24
鏡のように穏やかな松浦の海を背に短編成の客車列車を牽くC11がブラスト音も軽やかにやってきた。
『引き潮の松浦海岸を行く』 637列車 C11 松浦線調川 1970.3.24
春のうららかな日差しのもと、潮の引いた松浦海岸にはギザギサした不思議な文様が現れた。その向こうをC11がローカル列車を牽いて駆けていった。
『春の松浦の浜辺にて』 639列車 C11 松浦線調川 1970.3.24
午後になると松浦の浜辺には潮が満ち始め、真っ青な空と海が広がった。
春の日差しあふれる中、門鉄デフのC11がローカル列車を牽いて通り過ぎる。
9060列車 D50231 筑豊本線中間 1968.8
気が付くと運炭列車ではない、塗装もピカピカの貨車を連ねた列車が進入してきた。先頭に立つデコマルは大きな大正罐にはいかにも不釣り合いなシールドビーム付だった。
732列車 C553 筑豊本線中間 1968.8
若番のC553がローカル列車を牽いて中間駅を出発していく。門鉄デフを見て九州へ来たなあと思ったものだ。
『愛おしき白煙』急行207列車天草 DD51623…D6046 筑豊本線筑前内野 1970.3.27
この頃すでに九州の非電化路線の優等列車の多くはDD51が担っていた。筑豊本線経由で冷水峠を越える急行天草もその一つで鳥栖区の牽引機もC57からDD51に置き換わっていた。この勇壮な冷水越えはやはりC57の力走を見てみたかったが、後補機は依然として直方区のD60で懸命に押し上げる白煙が愛おしく思えた。
『冷水峠越えのデコマル』 723列車 D5090 筑豊本線筑前内野 1970.3.27
ハイピッチのブラストも小気味よくデコマルが客車列車を牽いて冷水峠を目指す。この頃筑豊本線の客車列車は概ねC55の牽引だったが、時折D60、D51やD50も見かけた。
『ライトパシフィック冷水峠を登る』 727列車 C5557 筑豊本線筑前内野 1970.3.27
ライトパシフィックC55がブラストも高らかに冷水峠を目指す。記録にはC5557となっているがデフステーが白いので51号機の誤りかと鑑別を試みた。結果は、ステー形状とナンバープレートの位置が51号機ではない。決め手は若松区所属の70年代初め、57号機はステーを白塗りしていたことである。
(2020.4.10音声公開。視聴には外部スピーカーへの接続を推奨。)
『冷水峠を越えて』 2764列車 D5090 筑豊本線筑前内野 1970.3.27
朝の客車723列車を牽いて冷水峠を越えて行ったデコマル90号機が貨物列車を牽いて峠道を戻り下ってきた。
『冷水峠に挑む その1』1763列車 D6025+D6027 筑豊本線筑前内野 1970.3.27
筑豊随一の峠越え、冷水峠は何度か訪れた。東海地方では見ることも叶わぬD60重連の咆哮にしばし酔いしれた。排気膨張室を持たないD60のブラスト音はダイレクトに鼓膜を刺激し、周囲を圧しつつ迫ってくる。
(2021.3.26音声付公開。視聴にはイヤホン、TVほかの外部スピーカーへの接続を推奨)
『冷水峠に挑む その2』1763列車 D6025+D6027 筑豊本線筑前内野 1970.3.27
蒸機重連は歩調は合っても息が合うということはまずない。通常、補機は本務機の9割弱ほどしか力を出していないのだ。2機のブラスト音はカットオフ率の違いにより同期したり離れたりして強弱を繰り返しつつ迫ってくる。
(2021.3.26解説更新、音声公開。視聴にはイヤホン、TVほかの外部スピーカーへの接続を推奨)
『筑前内野到着』 1734列車 C5557 筑豊本線内野 1970.3.27
朝、727列車を牽いて冷水峠を越えて行ったC5557が上り列車を牽いて戻ってきた。この頃、冷水峠を越える各駅停車は晩の2往復のDC以外は蒸機牽引の客車列車だった。撮っても乗っても蒸機を満喫できたのだ。
737列車 C5551 筑豊本線筑前植木 1970.3.27
筑前植木駅に停車中のシゴゴがブロワーを吹かせて黒煙を真っ直ぐ立ち上らせている。間もなく出発だ。
『春の筑豊水田風景』 694列車 29651 筑豊本線筑前植木 1970.3.27
3月の筑豊は春霞がかかり、穏やかな田園風景が広がっていた。この子牛がなぜ1頭だけここにいるのか不思議だった。
8673列車 D6071 筑豊本線筑前植木 1970.3.27
長くはないがD60がセラを連ねた運炭列車がやってきた。いかにも筑豊らしい列車だ。
『ラストデコマル』 655列車 D50140 筑豊本線筑前植木 1970.3.27
D50140は磨かれたボイラー、小さなスポーク動輪、化粧煙突をはじめ曲線が残るデザインの美しい罐だった。若松区の最後のデコマルとしてこの優美なスタイルを貫き通し、今は京都鉄道博物館に保存展示されていることは嬉しい限りだ。
『ナメクジ筑豊を行く』 D5142 筑豊本線筑前植木 1970.3.27
筑豊ではデコイチの印象は薄かった。事実、貨物機は9600,D50,D60という大正生まれやその改造機が主力でD51は少数派だった。この42号機は直方区に数機いたナメクジ形デコイチのうちの1機だった。
従えている貨車はセラではない。どうやらホキ6800のようだ。そうであれば積荷はセメントクリンカだ。
『夕日に浮かぶ老兵』 661列車 49664 筑豊本線筑前植木 1970.3.27
次々にやってくる列車、沈みゆく太陽。厳しくなるばかりの露出の中、シルエット撮影に切り替えた。バック運転のキューロクのフォルムが美しい。
『兄弟罐』 D51160,D5090 直方機関区 1970.3.27
直方区では凸一と凸丸の兄弟が轡を並べていた。弟のデコイチの方は言わずと知れた日本の蒸機の代名詞となった罐だ。兄のデコマルはデザインに大正生まれらしさを漂わせているが、弟に劣らぬがたいの大きさだ。すっかり弟の影に隠れてしまったが、この罐の性能諸元をもとに国鉄施設の諸規格が決められたという我が国鉄道史上のエポックとなった名機であった。
『直方区の転車台』 49656 直方機関区 1970.3.27
後ろにセラ群が見えるのがいかにも筑豊らしい直方区の転車台だ。なお、機関区内では許可を得て撮影している。
『バークシャーD60』 D6031 直方機関区 1970.3.27
D60はD50の従輪を二軸化して誕生した改造機だ。何ともごついLT254形従台車をはいているが、この大きなキャブとは微妙にバランスが取れていたように思う。
『直方に憩う』 D6031 直方機関区 1970.3.27
直方機関区に憩うD6031。直方駅は南北に大きな駅で南西寄りに機関区があった。この写真は北西側から原田方を見ており、背後にはセラ、キューロク、跨線橋そして巨大な給炭塔が見える。朧げなのは春霞のせいか、はたまた蒸機群の上げる排煙のせいなのか、まだまだ筑豊の鉄道が活気にあふれていた頃である。
『直方に憩う その2』D6031 直方機関区 1970.3.27
直方の煙は消えたが駅の東口から西の西徳寺前に至る跨線橋がある構内図は半世紀以上経た今も変わりがない。(2024.3.8記)
『3代 轡を並べて』 69613,D51160,D5090 直方機関区 1970.3.27
直方機関区では9600、D50、D51の3代の貨物機が勢揃いしていた。1970年代初頭、この3代が揃って見られるのは筑豊だけとなっていた。ただ、このときのキューロクとデコマルは本来の化粧煙突がパイプ煙突に交換されていたのに少し残念な思いがした。
『筑豊のキューロク』 69638 直方機関区 1970.3.27
初めて筑豊を訪れたとき、稲一区のキューロクの野太い汽笛に馴染んでいた耳には筑豊のキューロクの汽笛は甲高くて頼りなく聞こえた。しかしそれは浅学ゆえの思い違いだった。何のことはない。蓋付き湯飲みのような形のこの汽笛こそが大正罐キューロクのオリジナル、3室汽笛だったのだ。この69638はその他にも磨き込まれたボイラー、ランポードの白塗り、継ぎ足しのある化粧煙突、キャブ下点検窓切欠きなど典型的な筑豊のキューロクだった。
『直方機関区の印象』 D6031 直方機関区 1970.3.27
『門司港駅の夜』 ED7219,ED7618 鹿児島本線門司港 1970.3.23
鹿児島本線の起点門司港駅の深夜。夜行鈍行の先頭に立ってED72とED76が出発待機していた。この日の出発はもうこの2本だけだからなのか人影が見えぬ不思議な情景だった。列車番号の記録が漏れているが、右が私が南風崎まで乗車した長崎・佐世保行1421列車、左が都城行1121列車だったと思う。
『夜明けの原田にて』 急行6201列車桜島 ED767 鹿児島本線原田 1970.3.27
まだ夜の明けきらぬ原田駅をED76が急行桜島を牽いて通過していく。右手に見えるのは筑豊本線の客車列車仕業準備中のC55だ。デフレクター形状から若松区唯一の標準デフ装備機19号機とわかる。
銀塩フィルムのこの時代、九州でしか見られないED76が被写体ブレすることを恐れていささか早切りとなってしまった。
『セラ群を牽いて』 ED726 鹿児島本線原田 1970.3.27
夜が明けたばかりの原田駅をED72がセラを連ねて通過して行く。ED72の鳩胸とも呼ばれた「くの字」のフォルムは九州以外ではお目にかかれないもので、デザインの先進性に目を奪われた。
2016年になって西浦和でEF65の牽く5764列車を撮影したとき電機の牽く運炭列車は初撮影と思ったが、そうではなかったかも知れない。ただ、この列車がセラばかりの運炭列車だったのか、セラ以外も連結した混成貨物だったのかはもう分からない。
福岡県在住の来館者J様より、この列車は、三池炭鉱からの運炭列車(返空)で上戸畑から大牟田方面に向かっているところだろうとご教示いただいた。(2018.7.13追記)
『これは阿蘇かあかつきか』 ED76 鹿児島本線博多 1977.3
朝の博多駅に12連の14系客車を連ねてED76が進入してきた。このときは非鉄の友人との卒業観光旅行で、何の記録もない。ただ分かっているのは、博多には5:36着かいもん4号を降り立って8:19発ひかり22号に乗車したということだけだ。この間の下り14系座席客車列車は2本しかない。急行阿蘇と季節特急あかつき51号だ。阿蘇は先頭が荷物車だが、それは門司で解結される。あかつきの運転日だとして、先の阿蘇を撮らずにあかつきだけ撮ることは考えにくいので、これはおそらく203列車急行阿蘇であろう。ED76はナンバーが判然としないが1000番台1次形の1010号機のようだ。