Nostalgic北海道 1号室 石北本線・釧網本線・根室本線・湧網線・池北線・広尾線
1973年、私の在学していた地方大学では不思議なことに1ケ月もの秋休みが発表された。大学闘争の終息後の講義日程調整のため臨時に設けられたものであった。これは千載一遇のチャンスとばかり北海道へ撮影旅行に出かけた。一緒に青函連絡船に乗った下宿の仲間たちとは網走で別れ、半月もの間一人北海道を巡り歩いた。 1号室では、道央、道東の幹線とその後廃線となってしまったローカル線で活躍するC58と9600やキハたちの姿をご覧いただきたい。
『厚岸湾をバックに』 1493列車 C58348 根室本線厚岸 1973.10.8
きらめく厚岸湾に北海道形切り詰めデフを装着したシゴハチのシルエットが浮かび上がる。
『湧網線の秋の訪れ』 1991列車 69644 湧網線芭露 1973.10.5
能取湖畔やサロマ湖畔をたどる湧網線は景観の美しいローカル線だった。10月の初めというのにキューロクの吐く煙は既に白く、サロマ湖畔には秋の気配が漂い始めていた。
『サロマ湖畔を行く』 1990列車 49699 湧網線芭露 1973.10.5
サロマ湖畔をキューロクが貨車を連ねてトコトコやってきた。全国津々浦々鉄道が貨物輸送を担っていたこの時代が懐かしい。今ここには線路の痕跡もないという。
『爆走大雪くずれ』 1527列車 C58391 石北本線緋牛内 1973.10.6
緋牛内駅直前まで緩やかな上りが続いている。北見から普通列車となった急行大雪が有名なこの大雪くずれだ。シゴハチは11輌もの客車を従えて物凄い白煙を上げて力行してきた。シゴハチのこんな長大編成は内地では見たことがなく圧倒された。
『緋牛内の朝』 522列車 C58331 石北本線緋牛内 1973.10.6
刈り取り後の稲わらを束ねて田んぼに立てるのは北海道独特のやり方なんだろうか。それが並んだ奇妙な造形の向こうを朝の斜光線を浴びてシゴハチの牽く各駅停車がやってきた。
『初秋の北見を行く』 1593列車 C58412 石北本線緋牛内 1973.10.6
北見地方は稲刈りの始まる時期だったが、すっかり稲が首を垂れた田んぼもまだ広がっていた。朝方霜が降りて一面真っ白だったのが嘘のように見事な黄金色を見せていた。うっすらと白煙を上げながらシゴハチがやってきた。キハが最後尾に付いているが、この列車は混合列車でもないので配給車輌であろう。
『道東の山野を行く』 1594列車 C58391 石北本線緋牛内 1973.10.6
緋牛内のあたりは山林なのか原野なのか分からないような風景が広がっていた。そこへコンテナもある客車もある正に混載貨物を牽いてシゴハチがやってきた。
『オホーツク海に沿って』 混631列車 C58391 釧網本線斜里1973.10.7
知床半島の付け根にある斜里の辺りは東に半島の山々が見晴らせて気持ちの良い景観が広がる。左手にオホーツク海を見てシゴハチの牽く混合列車が軽やかな足取りでやってきた。
『知床連山をバックに』 混632列車 C58406 釧網本線斜里 1973.10.7
オホーツク海越しに知床連山を望む斜里の浜辺を、軽やかなブラストを響かせながらシゴハチの牽く混合列車がやってきた。
急行611Dしれとこ2号 キハ56系 釧網本線斜里 1973.10.7
オホーツク海沿いの釧網本線を見慣れたツートンカラーの気動車がやってきた。種別表示幕がしっかりと出ていないが急行しれとこ2号である。このときはキハ58とばかり思い込んでいたが、後になってこれは国鉄急行形気動車の嚆矢、キハ56と気付いたのだった。
『斜里岳の麓を汽車が行く』 混634列車 C58 釧網本線清里 1973.10.7
清里の辺りは斜里岳の麓に広大な農地が広がっている。植えられているのはテンサイだろうか。北海道らしい風景にシゴハチの牽く引く混合列車は溶け込んでいた。
混633列車 C58412 釧網本線清里1973.10.7
下りの混合633列車の通過時間には雲が厚くなって斜里岳の頂きを隠し始め、シゴハチの吐く煙も白くなっていた。
『厚岸湾に沿って』混441列車 C5898 根室本線厚岸 1973.10.8
厚岸湾は今も昔もカキの名産地である。ところがカキのシーズンには早かったのか、この撮影地にくるまでには辺り一面に浜ゆでのカニの匂いが漂っていた。この日の食事がかにめしだったことはいうまでもない。
『厚岸湾の朝』 混441列車 C5898 根室本線厚岸 1973.10.8
『厚岸湖畔を行く』 464列車 C58418 根室本線厚岸 1973.10.8
厚岸湖沿いをシゴハチの牽く貨物列車が進んできた。編成後部には青い帯のレム群が見える。この5輌には生鮮水産品が積まれていたことだろう。
『釧路区のシゴハチ』 464列車 C58418 根室本線厚岸 1973.10.8
厚岸駅に停車中のC58418は戦後型で腰高の船底形テンダーを持ち、高山本線ではあまり見られないタイプだった。
切り取りデフ、つらら落とし、スノープラウなどを装備したスタイリッシュな姿にしばし見とれた。
この罐はその後はるばる海を渡り熊野市で保存されたが、劣化荒廃の末解体されたと聞き心が痛む。(2018.3.9一部追記)
『大空のもとを行く』 464列車 C58418 根室本線上尾幌 1973.10.8
北海道の大地の上には大きな雲が浮かんでいた。その狭間をシゴハチの牽く貨物列車がスルスルと滑り下りていく。
『秋色キハ』 235D キハ22317ほか 根室本線上尾幌 1973.10.8
木々が色づき始めた道東の山野をオレンジとクリームのツートンカラーのキハがやってきた。
『北で出会った門鉄デフ』 465列車 C5833 根室本線上尾幌 1973.10.8
上尾幌の小さなガーダー橋を渡ってきたシゴハチはおよそ北海道らしからぬ門鉄デフ、しかもJNRマーク付きだった。そのときは「変なの」と思ったが、半月も北海道にいるうちにこの罐のことはすっかり忘れてしまった。後になって、このデフは後藤式デフ、JNRマークは前年の鉄道100周年記念で入れられたもので、この罐を狙っていた撮り鉄もいたと知った。「猫に小判」とはおそらくこういうことを云うのだろう。
『上尾幌の峠越え』 混444列車 C5898 根室本線上尾幌 1973.10.8
上尾幌にはちょっとした峠越えがある。道東らしい山間いをシゴハチがカットオフの効いたブラストを響かせて登ってきた。
『薫別の橋梁を渡る』 1992列車 69624 池北線薫別 1973.10.9
薫別の橋梁の橋脚は立派なレンガ造りだった。そこを大正の罐キューロクが渡っていく。
『センチメンタルジャーニー』 貨1991列車 29633 池北線薫別 1973.10.9
この頃の北海道のローカル線では、貨物列車も荷がなく機関車が単機で来ることも多かった。
単機のキューロクはこの線の運命を知っていたのか、何だかとても侘しそうに見えた。
『陸別の昼下がり』 キハ1220 池北線陸別 1973.10.9
この駅だったかどうか忘れたが、お昼時、近くの家から連続テレビ小説「北の家族」の主題歌「風は旅人」が流れ聞こえてきた。自分の身の上に歌詞を重ね合わせてちょっぴりセンチメンタルな気持ちになった。
『板張り給水塔のある風景』 29633 池北線陸別 1973.10.9
陸別にはかつて機関分庫が置かれていて、機関庫も転車台も給水塔もあった。給水塔は北海道らしい凍結防止ストーブが備えられ周りを板で覆ったタイプである。
池北線もふるさと銀河線も廃線となり、ここに残された転車台のみが道央から網走に至る最初の鉄路としての開拓史を今にとどめているという。(2019.9.6記)
『陸別のキューロク』 29633 池北線陸別 1973.10.9
キューロクという罐は無口な職人気質のオヤジ、一方ハチロクは働き者のおばさんというイメージがある。事実キューロクは各地のローカル線で無煙化の日まで黙々と働き続けた。この29633はこの翌年の夏、池田区で56年の生涯を閉じたという。
『忍び寄る冬』 1995列車 9600 池北線塩幌 1973.10.9
北海道の秋は短い。早くも色づき始めた木々の間をワフ1輌を従えたキューロクが駆けて行く。
この荷の少なさがこのローカル線に訪れる冬の時代を暗示していたのかも知れない。
『夕暮れの単機』 貨1994列車 9600 池北線塩幌 1973.10.9
道央の山懐は夕暮れ時を迎え少し肌寒さを覚えるようになっていた。貨物1994列車を牽いてくるはずだったキューロクは荷がなく単機でやってきた。長く伸びた山の影が寂しさを誘った。
『広尾線の朝』 1891列車 9600 広尾線愛国 1973.10.10
10月の北海道は晴天が続くと聞いて渡道したが、本当にその通りで雨に降られたのは数えるほどだった。
この日も朝から天高く晴れ渡り、無風の中キューロクが白煙を長々とたなびかせながら快走してきた。
『歴舟川涼風快晴』 1892列車 9600 広尾線大樹 1973.10.10
北海道の空はあくまでも青く高く広がり、ほかに誰一人としていない歴舟川の河原には爽やかな風が吹き渡っていた。遠くから汽笛が聞こえブラストの音が近づてきたと思う間もなく、キューロクが結構な長さの貨物列車を牽いて駆け抜けて行った。
『霧の朝』 9600群 帯広 1973.10.11
帯広の朝は霧に包まれていた。そこには何機ものキューロクが出区の準備をしていた。北海道のローカル線は本当にキューロクが支えていたと思う。丈夫で長持ちとはこの罐に相応しい言葉だ。
『北の大空に白煙たなびかせて』 1891列車 19671 広尾線大正 1973.10.11
この日も十勝地方は朝から穏やかな晴天だった。点在する防風林より高いものがなにもない中空に、前日以上に長々と白煙をたなびかせてキューロクがやってきた。
「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズで一大ブームに沸いた広尾線は廃線となり、今ここには道床さえ残っていないのが悲しい。この19671が愛国駅跡に保存されているのが唯一つの救いである。
『北の大地を行く』 1892列車 19671 広尾線虫類 1973.10.11
5万分の1地形図を見てこのカーブは俯瞰で撮ることにした。丘の上に出るための細い道は広大な牧場の中を通っていた。進むにつれ牛たちから一斉に視線を浴びせられて肝を冷やした。(2018.10.12機番追記)
『北の大地を行く その2』 1892列車 19671 広尾線虫類 1973.10.11
牧場と牧草地の広がる十勝の大地を老雄キューロクが懸命に登ってきた。広尾線はJRに引き継がれることなく1987年2月全線が廃線となった。