Nostalgic北海道 2号室 室蘭本線・宗谷本線・富良野線・天北線
道北、最果ての地の蒸機たちは派手さもなく地道に働き続けていた。まだまだ道路が未整備な時代、鉄路を走ることに使命を感じていたのかも知れない。だが彼らの懸命な姿に、私は滅びゆく者の持つ寂寥感が自分の心を占めていくのを禁じえなかった。道南、室蘭本線を行く蒸機列車は編成長も頻度も十分で、あと2年ほどで姿を消すことになるとは思えぬ活躍ぶりだった。まだまだ元気だった頃の姿をご覧いただけることは撮影者として幸せである。
『天塩川に沿って』 324列車 C5530 宗谷本線雄信内 1973.10.15
天塩川沿いの宗谷本線を白煙をなびかせてC5530の牽く上り列車がやってきた。南と北の亜幹線に追いやられたC55だが九州の地以来3年ぶりに元気な姿を見て嬉しかった。だが、これが私が生きているC55を見た最後となった。この30号機はキャブの屋根が丸いがこれは元流線形機だった証である。
『テンダー看付列車』 C57149 室蘭本線登別 1973.10.4
室蘭本線の客車列車はほとんどがシゴナナの牽引だった。テンダーの白いものを見て、またかと思った。これは闘争のスローガンが書きなぐられているのだ。
『大海原をバックに』1230D キハ20系 室蘭本線富浦 1973.10.4
輝く太平洋をバックにキハのローカル列車が進みゆく。記録には登別と書かれているが、どうやらこの日は登別から隣の富浦の先まで国道を歩きながら撮り進んだようだ。おそらくここは蘭法華岬の西方であろう。
『蘭法華岬をバックに』 224列車 C57144 室蘭本線富浦 1973.10.4
蘭法華岬をバック上り普通列車が駆け抜ける。太平洋からの強い海風にシゴナナの吐き出す排煙が流されて列車を覆い隠す。
『北の運炭列車』 9755列車 D51 室蘭本線富浦 1973.10.4
広々と開けた風景の中をセキを長蛇のごとく連ねた運炭列車が横切っていく。平坦な室蘭本線では2千トンを超えるような運炭列車をデコイチが牽いていた。それを目の当たりにしてこれぞ北海道の運炭列車だとうなった。
記録には登別と記されていたので、ここがどこか最初戸惑ったが、この海岸線と線路が交わろうとする角度から隣駅の富浦の西側だと判明した。
『北のナメクジが行く』2486列車 D5113 室蘭本線富浦 1973.10.4
ナメクジ形デコイチが貨物列車を牽いてやってきた。室蘭本線では結構ナメクジを見掛けた。ただ顔付きは内地のそれとはずいぶんと印象が異なる。特に「クルクルパー」と俗称される襟付き回転火の粉止めを付けた罐は初期型D51本来の美しさがスポイルされてしまっている。この皿形の装置は煙突とナメクジ形ドーム前端をカットして寄生虫のように取り付いているのだから。
『非電化複線区間を駆け抜ける』 229列車 C57144 室蘭本線富浦 1973.10.4
北海道らしい非電化複線区間をシゴナナが各駅停車を牽いてやってきた。各駅停車といえども室蘭本線では結構なスピードで駆け抜けて行く。
来館者k様より「富浦駅の西でオーバークロスする国道からの画像であろう」とご指摘いただき、撮影地を登別から富浦に訂正した。(2017.9.29追記)
1691列車 59635 富良野線中富良野 1973.10.13
富良野のあたりは広大な農地が広がっていた。ただ珍しく雨模様となり眺望がきかない。ケンとメリーの木はどこかと目を凝らしたが広大な北海道のこと、もとより見えるはずもなかった。ガーダー橋を見つけて待つこと暫し、キューロクが小声で語り掛けるようなブラスト音でやってきた。
『美瑛の単機』 39637 富良野線美瑛 1973.10.13
美瑛のあたりは広々とした畑の中にポプラとかモミの木がすくっと立っているイメージがあるが、富良野線は意外に山中を走っていた。木蔭から突然キューロクの単機が姿を現した。列車を待っていて単機が来るとちょっと残念なものだが、蒸機の単機はいろんな表情を見せてくれたりするので私は結構好きである。
『雨の富良野線を行く』 1693列車 59659 富良野線美馬牛 1973.10.13
北海道入りして10日目、初めて雨になった。キューロクは雨に打たれながら懸命の登坂だ。
『ピヤシリ山麓に煙たなびかせて』 4381列車 39677 宗谷本線智東 1973.10.14
10月半ばとはいえ道北の山間部の宗谷本線は冷気に満ちていた。この辺りは亜寒帯気候の北海道でも寒極の地で真冬には氷点下40℃になんなんとするという。キューロクの吐き出す煙はすでに白く、北風に流されて列車を覆い隠す。
1395列車 D51560 宗谷本線東風連 1973.10.14
東風連の駅をデコイチの牽く貨物列車が通過して行く。そこには北海道の田舎駅らしいたたずまいがあった。
『東風連の牧草地にて』 321列車 C5530 宗谷本線東風連 1973.10.14
宗谷本線東風連は牧草地が広がっていた。北海道らしい建物が点在しシゴゴの牽く列車もメルヘンの世界の住人だ。
(2019.9.27機番追記)
『東風連の原野を行く』 324列車 C5550 宗谷本線東風連1973.10.14
冷たくどんよりとした空気を切ってC5550の牽く各駅停車がやってきた。煙室扉のくたびれた感じにこの線区の冬季の過酷さが偲ばれた。
『煙に巻かれて』 8370列車 D51105 宗谷本線東風連 1973.10.14
排煙と排蒸気に巻かれて列車の姿は見えなくなってしまった。助士席側は給水温め器排蒸気により冬場はこうなることがあるのだが、まだ10月だからと油断したのがいけなかった。ここは北海道だった。このデコイチのナンバー105は見覚えがあった。この罐とは2年前の奥羽本線で会いまみえていたが、その時とはデフレクターも回転火の粉止めも補助前照灯も違い、すっかり北海道罐らしい面構えに変貌していた。(2019.9.27記)
1693列車 49644 名寄本線名寄 1973.10.14
名寄の田んぼではまだ稲架けがしてあった。その向こうをキューロクが爆煙を上げて進んでいった。
『天塩の流れに沿って その1』 4381列車 29607 宗谷本線雄信内1973.10.15
天塩川がウネウネと蛇行するこの辺りは原生林を切り拓いた牧場が広がっていて牛の姿はあっても人っ子一人見えない。寒々とした風景の中、貨物列車を牽いたキューロクが静かなブラストを残して走り去った。
『天塩の流れに沿って その2』 4381列車 29607 宗谷本線雄信内 1973.10.15
『天塩川に白煙たなびかせて その1』321列車 C57 宗谷本線筏島 1973.10.15
天塩川沿いを白煙をたなびかせて汽車が行く。サイドからスポーク動輪が強調されるはずだったのだが、これはボックス動輪だ。この日の321列車はC55ではなくC57が運用に入っていたのだ。
『天塩川に白煙たなびかせて その2』 321列車 C57 宗谷本線筏島 1973.10.15
『北の牧草地を行く』 1391列車 49603 宗谷本線雄信内 1973.10.15
10月といえば内地では爽やかな時季である。貧乏学生の私は薄手のセーター一枚を携えて渡道したが、まもなく考えの甘さを思い知らされることになった。北海道北部ではみぞれ交じりの雨の日もあり寒さに震えることになったのだ。蒸機の吐き出す白い煙だけが温もりを与えてくれた。
『最北の湖をバックに』 1791列車 9600 天北線山軽 1973.10.15
一面の熊笹をかき分けて丘に登ると眼下に日本で最初に白鳥が渡ってくる湖と云われるクッチャロ湖が見渡せた。
一日一往復の貨物列車を待って、半日ボーっと湖を眺めていたら本当に白鳥が飛んできた。フィルムを惜しんでか前後のコマに写っていないので、今となっては夢か現か定かではない。
天北線は廃線となり、もうこの雄大な鉄道風景を見ることは叶わない。
『熊笹の丘を行く』 726D キハ227+キハユニ257 天北線鬼志別 1973.10.15
北海道も最果てに近いこの辺りは山の木もまばらだ。丘には熊笹がびっしりと生い茂って歩くにも時間がかかる。こんな風景にキハはよく似合っていた。
『最北の原野に煙流れて』 1792列車 29607 天北線鬼志別 1973.10.15
この辺りの天北線は原野の中を走っている。最果ての地のキューロクは短くはない貨物列車を牽いて黙々と登ってきた。当てもなく原野へと流れる煙にわびしさが募った。
『追分駅の列車交換』 222列車 C57135 1973.10.17
追分駅の朝、221列車と222列車が交換する。222列車の先頭はC57135だった。この機関車が国鉄定期旅客最終列車を牽いたことはあまりにも有名だ。今は大宮鉄道博物館でお目にかかることができる。(2022.10.21撮影日修正。1973.10.16→1973.10.17)
ギーゼルエジェクター機の牽く運炭列車 9281列車 D51842 室蘭本線安平 1973.10.17
ギーゼルエジェクターという装置がある。なんでも、燃料の節約、速度の向上が期待できるらしい。このD51842の細く長方形の煙突がそうだ。横から見るといかにも不格好で「変なの」と思った記憶がある。
『室蘭本線を行き交う貨物列車』 4287,2454列車 D51765,D51414 安平 1973.10.17
北海道の主要幹線、室蘭本線は複線だ。デコイチの牽く貨物列車同士がいますれ違う。
『北の大地を駆け抜ける』 223列車 C5744 室蘭本線安平1973.10.17
室蘭本線では、貨物列車はD51、旅客列車はC57が受け持っていて、D51が客車の先頭に立つことはわずかしかなかった。このC5744はなぜか海を渡り今は伊予西条市で眠っている。
室蘭本線の長大編成貨物列車 D511120 安平 1973.10.17
室蘭本線ではデコイチの牽く貨物列車が次から次へとやってきた。絶気なのに少々物足りなさを感じたが、編成の長大ぶりには撮り飽きることがなかった。
室蘭本線の珍編成 1294列車 D51711 室蘭本線安平 1973.10.17
行き交う長大編成貨物の間に車掌車1輌だけ牽いてやってきたデコイチは奇妙な形の煙突だった。ギースルエジェクターである。燃料節減効果があるようだが何とも不格好だ。この煙突が一部のD51に採用されただけで普及しなかったのは、日本人の美的感覚に合わなかったからなのだろうか。
室蘭本線の長大セキ編成 1291列車 D51286 安平 1973.10.17
デコイチが長大な運炭列車を牽いてやってきた。同じような大きさ形のセキを連ねた編成が美しい。
『パシフィック快走』 224列車 C5738 室蘭本線安平 1973.10.17
室蘭本線ではほとんどの客車列車をシゴナナが牽いており、デコイチとの客貨の棲み分けがなされていた。
客車列車は貨物列車のような編成の長さの魅力はなかったが、80km/hに達するようなハイスピードで駆け抜ける様は幹線を走るパシフィックの面目躍如たるものがあった。
『団結の時代』 225列車 D51328 室蘭本線安平1973.10.17
デコイチが各駅停車を牽いてやってきた。何だかお召列車のように日章旗を掲げているようにも見える。でもテンダーにも白いものが…。これは闘争のスローガンなのだ。内地に戻って焼き付けてみて旗のように見えたのは「団結」の文字だとわかった。
『北の大地を行く運炭列車』 278列車 D51 室蘭本線安平 1973.10.17
北海道の運炭列車が連ねている石炭車は筑豊のそれとは石炭の排出方式が違う。筑豊が底面開きなのに対して北海道は側面開きだ。北海道の方はボギー車で車両も大きい。美しい編成の運炭列車は北海道の広大な風景の一部となっていた。
『熱き心に』227列車 C57135 室蘭本線安平 1973.10.17
この日の朝、岩見沢から安平まで私を運んでくれたC57135が227列車を牽いて北の大地をやってきた。この罐が2年後に国鉄最終客車列車を牽くことになるとはそのとき想像だにしなかった。今、熱き心にその姿を瞼の裏に思い重ねる。(2022.10.21記)
『夏雲の下を駆けゆく』 228列車 C5744 室蘭本線安平 1973.10.17
この日は北海道入りして初めて見る夏雲が湧き上がっていた。秋の北海道らしくないこんな雲を見ていたら急に内地が恋しくなった。今夜の連絡船で明日には半月ぶりに内地に戻れる…。
これが私が見た現役時代のシゴナナの最後の勇姿となった。
『セキを連ねて』 5993列車 D51 室蘭本線安平 1973.10.17
2017年現在、北海道を走る運炭列車は釧路市内の1箇所のみである。北海道の大地を次々と長大な運炭列車が走っていた時代はもう歴史の彼方に過ぎ去ってしまった。