Nostalgic東北 2号室 奥羽本線・八戸線・五能線・阿仁合線
1971年の東北撮影旅行のお目当ての一つは、電化を間近に控えた奥羽本線のハドソンC61だった。五能線のハチロクの混合列車も今では語り草になってしまったが、いかにも荒涼とした風景はこの北のハチロク以外は画にならないと思わされた。八戸線ではC58が客貨に活躍する姿を、阿仁合線ではC11が地道に混合列車を牽く姿をご覧いただきたい。
『奥羽本線を行くハドソン』 442列車 C6119 奥羽本線大鰐 1971.8.12
ハドソン形は前輪2、動輪3、従輪2の軸配置で足回りが重厚だ。ローアングルから見上げるといっそうスタイリッシュで惚れ惚れした。
『赤い交流機』 仙山線825列車 ED781 山形 1971.8.9
1971年の撮影旅行では小浜線、越美北線、羽越線、陸羽西線と撮り進んで左沢線に向かう前に山形駅に着いた。跨線橋から見下ろせばED78トップナンバーの姿があった。写真は褪色が進んでしまっているが、普段直流機を見慣れている目には交流機の赤がとても鮮やかに映った。
『朝靄の中を』 682列車 C58111 八戸線本八戸 1971.8.10
朝靄の中からシゴハチの牽く貨物列車が現れた。
『馬淵川の朝』 1627列車 C58111 八戸線本八戸 1971.8.10
シゴハチが長い通勤列車を牽いて馬淵川を渡ってきた。八戸線でも朝晩の通勤列車は客車列車の出番だった。
628列車 C58111 本八戸 1971.8.10
八戸線ではシゴハチが客貨に活躍していた。客車列車は下りを順行、上りを逆行で運転していた。テンダー機関車であるC58の逆行運転を常用していたのは比較的珍しいのではなかろうか。
『しらはま号種差海岸を行く』 9641列車しらはま号 C58393 八戸線鮫 1971.8.10
かもめのヘッドマークを掲げ、黒光りするC58が牽く海水浴臨「しらはま号」が種差海岸沿いをやってきた。太平洋に面したきれいな海岸線をイメージしてきたが、運悪く護岸工事中だった。
『港町を行く』 9640列車しらはま号 C58393 八戸線鮫 1971.8.10
港町八戸の景観は、ワカメが道端に干してあったり漁船が陸に上がっていたり都会の郊外育ちの私には刺激的なものだった。
『弘前のハチロク』 28667 五能線川部 1971.8.11
奥羽本線と五能線の分岐点、川部駅ではハチロクが出迎えてくれた。大正生まれらしい小ぶりなサイズと多くの曲線、スポーク動輪が好ましい。
混1725列車 28683 五能線木造 1971.8.11
ハチロクの牽く混合列車と腕木式信号はよくマッチしていた。
『岬めぐり』 9716列車かっぱ号 18677 五能線大戸瀬 1971.8.11
海水浴臨「かっぱ号」と乗合バスが並走してきた。五能線沿いにはいくつも岬があるが、岬巡りのお客はいただろうか。
『津軽の日本海を右手に』 混1730列車 28620 五能線大戸瀬 1971.8.11
大きく広がる日本海を右手にハチロクの牽く混合列車がやってきた。夏なので薄い煙しか見えないが、よく見るとブラストごとに排煙が一塊りになっている。大正生まれのハチロクは排気膨張室を持たないので、こういう煙が出やすいしブラストの歯切れもよい。
『津軽の日本海を右手に その2』 混1730列車 28620 五能線大戸瀬 1971.8.11
日本海を右手にハチロクの牽く混合列車が進みゆく。蒼茫たる大海原の彼方には大陸がある。そう思うとうら寂しいような北の風景も明るく晴れ晴れと見えてきてゆったりとした気分に浸った。
『津軽の日本海を右手に その3』混1730列車 28620 五能線大戸瀬 1971.8.11
『鯵ヶ沢の日本海をバックに』 貨764列車 68656 五能線鯵ヶ沢 1971.8.11
鯵ヶ沢あたりの日本海は夏だというのに波も高かった。荒涼と広がる海岸線を走るハチロクの姿もうら寂しい。
『吹き出すドレイン』 764列車 68656 五能線鯵ヶ沢 1971.8.11
ドレインを切ってハチロクが出発していく。ドレインは発車や再力行時にシリンダーに溜まった水を排蒸気を使って排出するもので少しも熱くはないのだが、これだけ盛大に吹き出されると思わず逃げ出したくなるのが人情だろう。
『鯵ヶ沢湾をバックに』1763列車 68656 五能線鯵ヶ沢 1971.8.11
ハチロクが日本海の漁師町鯵ヶ沢の勾配を短い貨物列車を牽いて登ってきた。ハチロクは新製当初からここを走っていそうなイメージがあるが元来幹線用急客機だった。時代が下りローカル線へ転じたが、モーガルという軸配置も手伝って空転しにくいという特性を買われ貨物列車牽引の任にも当たった。
(2020.7.3音声公開。視聴にはイヤホン、TVほかの外部スピーカーへの接続を推奨)
混1739列車 28688 五能線鯵ヶ沢 1971.8.11
鯵ヶ沢あたりは開けた湾になっている。北の日本海とハチロクの牽く混合列車はしっくりと馴染んでいた。
(2020.7.3列車番号1763→1739、機番68656→28688訂正)
『潮目の海沿いに』 混1739列車 28688 五能線鯵ヶ沢 1971.8.11
鯵ヶ沢から望む日本海の沖合には南からの対馬海流と北からのリマン海流が流れている。背後の白神山地から流れ込むミネラル分豊かな清流がこの辺りをヒラメの好漁場にしているのだという。くっきりと現れた潮目に沿うようにハチロクが駆けていった。
(2020.7.3列車番号1763→1739、機番68656→28688訂正)
『海水浴客を乗せて』 9717列車かっぱ号 18677 五能線鯵ヶ沢 1971.8.11
「かっぱ号」というのは日本海へ向かう海水浴臨時列車で、東北地方で何系統もあった。この列車は弘前と深浦間を往復しており羽越本線のかっぱ号とは別系統である。蒸機の牽く客車に乗って海水浴に行くとは何とものどかな時代だった。
『小国川橋梁を渡る』 臨客 D511067 奥羽本線舟形 1971.8.8
列車番号の記録がないがこれは上ノ山発鼠ヶ関行海水浴臨「かっぱ号」であろう。この列車は新庄から陸羽西線内はC58にバトンタッチする。
『排煙たなびかせて』 625列車 D51296 奥羽本線白沢 1971.8.12
排煙高々とたなびかせてデコイチがローカル列車を牽いて力行してきた。奥羽本線では客車列車はC61牽引と思っていたが結構デコイチも充当されていた。この296号機は現在、府中市で保存されている。
急行8501列車あおもり2号 D51688 奥羽本線白沢 1971.8.12
急行あおもりというのは盆暮の帰省臨時急行で、寝台車とグリーン車だけの編成という結構な豪華列車だ。
この年の暮れに東海道本線でEF58が牽く姿を記録したが、このときは奥羽本線ではD51が牽いているとは思わなかった。東海道本線での姿は「特別展示1号室」でご覧になれる。
『急行8501列車あおもり2号 その2』 D51688 奥羽本線白沢 1971.8.12
急行あおもりの先頭に立つこのデコイチは左デフレクタ先端下部に三角の切り欠きがある変形機だ。この次にやってきた853列車牽引機のD51876もよく見ると同様である。私がほかに相まみえたうちでは豊橋市に保存されているD5189もまた同じである。これらの3機の共通項は金沢運転所に在籍歴があることだ。おそらくそこで切り取られたのだろう。
この688号機はその後中津川区に転じて中央西線で活躍したようだが、あいにく私はその時期に受験生となり再会することはなかった。今は岡崎市に保存展示されている。
『前牽き後押し その1』 853列車 D51876・・D51130 奥羽本線白沢 1971.8.12
奥羽本線の秋田青森県境には矢立峠という難所があった。貨物列車は大舘-弘前間で補助機関車の力を借りた。デコイチが後補機を従えてやってきた。
『前牽き後押し その2』 853列車 D51876・・D51130 奥羽本線白沢 1971.8.12
矢立峠をこの先に控える白沢あたりの勾配はまだ序の口、後補機もまだまだ本気は出していないようだ。
『脈動 大館機関区』 D51107,D51819 大館機関区 1971.8.12
雨の中、人がせわしく動き、エグゾーストが噴煙のごとく立ち上り、ひしめく罐たちの息遣いもかしましく大館機関区は脈動していた。
『大舘区の転車台』 D51531,923,466,C6124 大館機関区 1971.8.12
大館機関区には、花輪線の8620、阿仁合線のC11、奥羽本線矢立峠越えのD51が配属されていた。D51の重油タンクがものものしい。C61は青森区の罐だ。なお、機関区内は許可を得て撮影している。
弘前区のD51923 大館機関区 1971.8.12
大きな重油タンクをテンダーに持つ弘前区のD51923。長く羽越本線、奥羽本線で活躍したが、その後遠く九州に転属し南延岡区で最期を迎えた。今は遠く久留米市で保存され、静かに眠っていると聞く。
青森区のC6124 大館機関区 1971.8.12
大館区に憩う青森区のハドソンC6124。補助前照灯、旋回窓が北の罐らしい。夏場なのでスノープラウは付けていなかった。
青森区のC6124 その2 大館機関区 1971.8.12
C6124の正面。ヘッドマークステイが東北本線時代特別急行はつかり牽引の栄光を物語る。前端梁の穿孔はスノープラウ取付孔だが、この左右非対称と数の多さは何だろうか。
青森区のC6124 その3大館機関区 1971.8.12
C60に比べるとC61のテンダーは短い。それでもヒップアップしたスタイルはグラマラスだ。
『美しきハドソンサイドビュー』 C6124 大館機関区 1971.8.12
このアングルから見るハドソン形旅客機C61は2C2の軸配置が力強い。C61とC60は一見よく似ている。この角度での両機種の一番の違いは従台車であろう。C61のほうが前後のバランスのよいスマートな従台車をはいている。
676列車 D51580・・1132 奥羽本線大鰐 1971.8.12
奥羽本線沿線のまだ新しい植林を横に見てデコイチが駆けていく。真新しいポールが電化の間近いことを告げていた。それでも鉄道と人々の営みはまだまだ隣り合わせの近さだった。
『津軽のローカル電車』 弘南鉄道 大鰐-宿川原 1971.8.12
津軽平野の南端を走る弘南鉄道大鰐線は大鰐辺りで平川を挟んで奥羽本線と並走している。見事な柱状節理をバックに下り電車が駆けていった。
『出穂のころ』 特別急行2001列車日本海 DD51+DD51 奥羽本線大鰐 1971.8.12
稲の茎に穂が出始めた東北の夏だ。その向こうを駆け抜ける20系のブルーと重連のDD51の赤が美しい。
このDD51の重連は日本海が9輌から13輌編成に増車されてから電化されるまでのわずかな期間しか見られなかったと思う。
『ハドソン田園地帯を行く』 823列車 C6124 奥羽本線石川 1971.8.12
7輌編成の客車列車を牽いて東北の田園地帯を走りゆくハドソンC61は颯爽たるものだった。
『りんごの里を行く』 急行502列車きたぐに DD5144 奥羽本線石川 1971.8.12
リンゴ畑の脇をDD51の牽く急行きたぐにが駆け抜けて行く。多客期で増車しているが8両目に食堂車オシ17を連結している。この1年余り後に起こった北陸トンネル火災事故によりオシ17は廃止となった。
853列車 D51…D51 奥羽本線石川 1971.8.12
矢立峠を越えて大鰐を過ぎると奥羽本線の下り列車は急に視界が開ける。津軽平野だ。
丘に登って俯瞰をしてみたがデコイチは絶気で安堵の表情を浮かべて転がっていく。後補機がいることさえよく分からない。
695列車 D51・・D51 奥羽本線石川 1971.8.12
ジグソーパズルのような田んぼの向こうを後補機付きの長大な貨物列車が横切っていった。
3570列車 D51 奥羽本線石川 1971.8.12
戦時形デコイチが地域間急行貨物を牽いて力走していく。ここでは、下り列車は絶気、上り列車は力行であった。
『小ヶ田の森を行く』 7261列車 C11243 阿仁合線小ヶ田 1971.8.13
野鳥囀る北秋田の森をかき分けるようにバック運転のC11がブラストも歯切れよく登ってきた。止まりそうになりながらも必死に踏ん張って峠を越えて行った。
(2020.8.21追記、音声公開。視聴にはイヤホン、TVほかの外部スピーカーへの接続を推奨)
阿仁合線の混合222列車 C11241 阿仁合線小ヶ田 1971.8.13
奥羽本線から分岐して程ない距離の阿仁合線小ヶ田だが、沿線は秋田スギだろうかヒバだろうか美林が広がっていた。混合列車の積荷もいかにもこの線らしい。
『北秋田の田園を駆ける』 629列車 D51 奥羽本線前山 1971.8.13
米代川沿いの水田地帯を客車列車が快走する。2C2の軸配置を撮りたくてサイドから構えたがやってきたのは見慣れたデコイチでいささか気落ちした。考えてみればこの頃青森区のC61は6輌ばかり。客車列車もD51の牽引のほうが多いのは道理であった。
『能代の田園を行く』 823列車 C6119 奥羽本線前山 1971.8.13
水田の広がる能代平野をC61が青森行普通列車を牽いて駆けて行く。
『ナクイチ奥羽本線を行く』695列車 D51791 奥羽本線前山 1971.8.13
D51791号機は高島貨物線電化による、東京-横浜港間さよなら運転客車列車の牽引機であった。沿線は今でいう激パ状態で、往時を思い出す方も多いのではなかろうか。これはその後大館区に移り奥羽本線で活躍する引退間際の勇姿である。このときは左右からの列車接近に慌ててしまい、足回りに柵を引っ掛けてしまったのがいささか心残りである。(2021.7.16記)
『デコイチ貨物の離合』 695,692列車 D51791⇔D511126 奥羽本線前山 1971.8.13
この頃、奥羽本線北部は複線化、電化の近代化が推進されていた。複線化なった二ツ井-前山間では蒸機列車同士の離合も見られるようになったが、翌月末には電化が完成しわずか2ケ月足らずの光景となった。
『長大編成を従えて』 855列車 D51871 奥羽本線前山 1971.8.13
日本海縦貫線に連なる北の大動脈奥羽本線北部では、この時代、デコイチが次々と長大編成貨物列車を従えてやってきた。
『C61奥羽本線を駆ける』 442列車 C6119 奥羽本線前山 1971.8.13
C61が客車列車を牽いて勾配を駆け上がってきた。グリーン車が付いているが442列車は普通列車なので回送であろう。
(2020.3.27付題、音声公開。視聴には外部スピーカーへの接続を推奨。)
『重厚長大編成を牽いて』 696列車 D51892 奥羽本線前山 1971.8.13
一面の水田の向こうの築堤をデコイチが長い貨物列車を牽いて登っていく。日本海縦貫線を行く車扱混載貨物では今のコンテナ列車のように何輌もの空のコキを連ねるようなことはなく、重厚長大で見応え十分なものだった。
『北のハドソンが行く』 444列車 C6128 奥羽本線前山 1971.8.13
築堤を各駅停車を牽いてC61が駆け上がる。足回りがぎっしり詰まったハドソン形のフォルムが美しい。
『爆煙高々と』 444列車 C6128 奥羽本線前山 1971.8.13
444列車を牽いて絶気でやってきたC61は築堤の半ばから加減弁を開け、爆煙高々と再力行にかかった。
『みちのくのラストハドソン』 444列車 C6128 奥羽本線前山 1971.8.13
C61という罐は東北のエースだった。メカニカルストーカーの装備は連続高速給気運転を可能とした。粘着引張力・シリンダー引張力でC61を上回るC60を差し置いて「はつかり」をはじめとする東北本線優等列車の先頭に立ち続けた。
ヨンサントオによる北のC60消滅後、C61は奥羽本線普通列車牽引の任に当たっていた。みちのくのハドソンはこの2ケ月後の奥羽本線青森電化をもって、ここに潰えるかと思われたが、この28号機ほか6機の青森区C61が遠く宮崎区に転属し日豊本線で活躍を続けたのである。
『排煙黒々と』 850列車 D51370 奥羽本線前山 1971.8.13
デコイチが黒煙を濛々と吹き上げてやってきた。「俺の走るところに柱や電線は要らねえ」と言わんばかりである。燃料効率の面から黒煙は褒められたものではない筈だが、迫る電化なにするものぞの、この豪胆ぶりには溜飲が下がる思いがした。
『バトンタッチ』 特別急行4001列車日本海1号 ED797,EF81102 青森 1998.8.20
子供たちに寝台列車を体験させようと1998年夏の北海道家族旅行の往路はブルートレイン日本海をチョイスした。敦賀から日本海縦貫線を長駆886.1km、私たち家族を運んでくれたEF81102号機はここ青森で津軽海峡線のエキスパートED79にバトンタッチだ。ED797号機が掲げているオリーブ色のヘッドマークと両機の赤錆の浮いたパンタグラフが目に焼き付いた。