Nostalgic信越 2号室 中央西線中部(倉本以南)
鵜沼あたりで高山線と並行する木曽川はすぐに線路から離れて東の山の中へ消えて行ってしまう。この川が再び鉄道の線路と並行する場所が中央西線の落合川である。高山線から蒸機が姿を消した後、この中央西線が私のホームグラウンドとなった。とりわけ落合川、田立あたりの中央部は名古屋から比較的近いので足繁く通った。落合川-中津川間は上り列車にとっての最終関門だ。落合トンネルまで25‰の急勾配があり迫力のある登坂が見られたが乗務員には難関だったと聞く。田立あたりは中勾配区間でD51は小気味よいブラストを響かせて登ってくるので目でも耳でも楽しめた。
『木曾谷を登る』 669列車 D51245 田立 1971.4.4
ここ田立ではカットオフされて小刻みに響くブラストが延々と響き渡り耳に心地よい。どの列車だったか忘れたがブラストに交じって口笛が聞こえてきた。それは車掌が吹く朗々たる口笛だった。貨車の旅を楽しんでいるなあと思わず微笑んだものだが、のんびりしたよき時代だった。
(2020.1.17音声公開。註:画像と音声は列車が異なる)
『小さな後補機』 691列車 C12166 落合川 1968.12.23
中津川-落合川間の落合山越えの貨物列車は、一部の例外を除いて後補機が付いた。このC12は回送ぶら下がりなんかではない。後補機にはおおむねD51が当たっていたが、軽量貨物列車には小さなC12がその仕事に就いており、今無事に山を越えて来たところだ。
『独りぼっちの帰り道』 単788列車 C12166 落合川 1968.12.23
この頃中津川区のC12は中津川-落合川間を後補機として昼夜5往復ほど走っていた。ただ、補機としての運用は下り列車のみで、落合川から中津川へはいずれも単機で戻っていた。
『落合山を越えて』 D51501…C1274 落合川 1969.3.27
後補機を従えて25‰の落合山を越えてきたデコイチ501号機が安堵の表情で落合川橋梁を渡ってくる。
この長工式デフには見覚えがあり、この501号機とは1年ほど前に米原であいまみえていた。木曾谷を走る罐は長野工場で整備をうけるのだが、不思議なことに長工式デフの罐は501号機くらいのものだった。米原区時代の姿はNostalgic北陸1号室でご覧になれる。
『渾身の力』 652列車 D51 落合川 1968.12.23
落合川-中津川間には25‰の峠越えがある。距離は短いが一気にきつい上りとなるため、落合川を発車した上り列車を牽くD51は渾身の力を振り絞って猛然とダッシュしていくのだ。
『猛ダッシュ』 D51792 落合川 1969.11.2
濛々たるエグゾーストを吹き上げてデコイチが落合川を発車する。列車後部には後補機が付いておりしばらく辺りは黒煙に包まれる。私には珍しく望遠レンズを使った一枚だ。(2019.12.25音声公開)
この792号機は今春日井市で保存展示されている。(2020.1.17追記)
『落合川の早春』 826列車 D51898 1969.3.27
落合川駅をデコイチが客車列車を牽いて出発していく。3月も下旬、木曽路の一宿手前に位置するこの辺りも春の陽気に包まれて白煙は見られないが、落合ダム湖畔の桜のつぼみはまだ固い。
『落合山を下る』6671列車 D51549…D51122 落合川 1969.3.27
落合ダム湖を左手に見て6671列車が落合川橋梁に差し掛かった。この列車は坂を下っているところでD51122は逆向後補機である。トンネルを抜けると間もなく落合川駅に到着である。
『中津川へ向けて』 826列車 D51279+D51129 落合川 1969.4.8
中央西線の普通列車に重連仕業はない。回送が付いて重連になっているが重連を見るとわくわくしたものだ。
重い貨物列車とは違い結構なスピードで駆け上がっていった。
『湖畔を発つ』D51 落合川 1969.4.29
芽吹いたばかりの山の緑も清々しい落合ダム湖畔をデコイチが出発していく。
『落合ダムの春』 653列車 D51 落合川 1969.4.29
落合川駅は木曾川の落合ダムに面している。このダム湖畔の桜もすっかり葉桜となり木々は芽吹きの季節だ。デコイチが今653列車を牽いて排煙高々と出発していく。ダム湖の貸ボートは今もあるのだろうか。
『春の落合川を駆け抜ける』 692列車 D51402 落合川 1969.4.29
陽光燦燦、新緑も目に鮮やかだ。そんな春のうららを打ち破って猛烈なブラストとともにデコイチが飛び出してきた。鉄橋を渡れば急峻な落合山の25‰が待ち構えているのだ。
『25‰に挑む』 692列車 D51・・D51 落合川 1969.8.8
落合川から中津川へは25‰の峠越えだ。雨の中、本務機と後補機の排煙は2条の白煙となった。
『山峡を行く』 826列車 D51792 落合川 1969.8.8
木曾谷には吊り橋がいくつも架かっていた。落合川にも吊り橋があり、橋の手前から上り列車を見るとトリッキーな光景となった。
『落合山の力闘』 692列車 D51402・・D51 落合川 1969.11.2
前後のデコイチが歩調を合わせて秋晴れの落合山の25‰を登ってきた。木曾谷を行くデコイチには労使闘争のスローガンが書きなぐられたことはないとばかり思っていたが、こうして見ると402号機にはそれらしきものが書かれているように見える。
『落合川を後にして』 D51827+D51 落合川 1969.8.8
落合川を出た下り列車は落合ダムにかけられた新橋を渡ってトンネルの中へ消えていく。
『ひとときの休息』 D51139 中央本線落合川 1969.8.8
落合川駅に佇むD51139。これは単機というわけではない。落合山越えの653列車の後補機として中津川から押し上げて来て、次に656列車の後補機として中津川へ向かうまでの間、ひとときの休息時間なのである。
『木曾谷へ』 653列車 D51 落合川 1969.4.29
落合ダム湖畔の芽吹いたばかりの緑が清々しい。落合川で後補機を解放したデコイチの牽く貨物列車は排煙高々とトラス橋を渡り、これより木曾谷へ分け入っていく。
『汽車に揺られて』 831列車 D51125 落合川-坂下 1969.4.29
中央西線ではよくデコイチの牽く客車列車にも乗った。撮らないのはもったいないように思われるかも知れないが、当時昼間の鈍行に気動車列車はなく撮影地を移動するには客車列車に乗るしかなかったのである。
人影もまばらな車内にそこはかとなく漂う排煙の匂い。デッキ出入口扉にぼんやりと写る白熱灯。絶え間なく揺れるデコイチの大きな背中…。50年前の私の記憶の中にこの汽車は今も走り続けている。
(2019.11.8記)
『坂下駅の列車交換』 826列車 D51851 1968.12.23
坂下駅でデコイチ牽引の客車列車同士がすれ違う。右手には木曾の材木を積んだ貨物列車が待避している。昭和のありふれた駅の光景だ。ありふれていないのは対向列車の牽引機で、このD51851は煙室戸上部が欠けている変形機だった。
『デコイチ重連列車快走』 832列車 D51501+777 坂下-落合川 1969.5.3
中央西線の客車列車は冬のスキー臨時急行などを例外として、通常はデコイチ単独牽引だ。
この日は珍しく重連だったので窓から身を乗り出して撮影した。前を見たら同じようなことをしている人がいて苦笑した。
今の車両は窓も開かないが、もうこういうことができる時代ではなくなった。(2018.4.13列車番号追記,2022.9.2区間表記訂正)
『木曾谷の夕暮れ』 830列車 D51827 坂下 1968.12.23
木曾谷の日暮れは早い。D51827の磨かれたボイラーとデフに反射した冬の鈍い西日が寒さを感じさせる。この罐は1973年7月9日中央西線さよなら列車を僚機549と重連で牽引した。
『田立の橋梁を行く』 6651列車 D51893 田立 1971.11.21
木曾谷ではいくつもの大きなトラス橋が印象的だったが、旧線の石積みのガーダー橋もなかなか趣があり蒸機とよくマッチしていた。デコイチが下り貨物列車を牽いて軽快に渡ってきた。
『木曾谷田立を行く』 6651列車 D51893 田立 1971.11.21
田立の集落を左手に見てデコイチが登坂していく。寒さは厳しいが積雪地帯ではない木曾谷では屋根の勾配はなだらかだ。
『デコイチ重連田立を下る』 826列車 D51898+849 田立 1971.4.4
デコイチ重連が木曾谷田立をスルスルと駆け下る。絶気なれども煙が上がっている。この先の最後の難関、落合山越えに備えてベテラン機関助士たちに怠りはない。
『デコイチ重連田立を下る その2』 654列車 D51777+266 田立 1971.4.4
654列車は通常デコイチの単機牽引だが、この日は回送が付いて重連で現れた。10分あまりの間に826列車、654列車と立て続けに重連がやってきて見応えがあった。
『優等列車の先頭に立って』臨急客9825列車 D51279 田立 1971.4.4
デコイチがオールグリーン車編成の臨時急行を牽いて田立の勾配を登ってきた。勾配線区の中央西線では貨物列車であれ優等列車であれすべて先頭はデコイチの独壇場である。
826列車 D51279 田立 1970.5.31
D51279が普通列車を牽いて田立のガーダー橋を駆け下る。この罐はデフレクタステーが独特の形状をしていた。
『シロツメクサの野辺を行く』 832列車 D51 田立 1969.4.29
天皇誕生日、寒い木曾谷にも春は訪れてシロツメクサ咲き乱れる野辺を汽車が駆け下る。
『野アザミ咲くころ』 829列車 D51279 田立 1970.5.31
野アザミ咲く田立の野辺をデコイチの牽く客車列車が登ってきた。煙が全く見えないが寒い時期なら盛大に白煙が上がっている筈だ。腕のいい機関助士が焚けば火床の石炭は白い炎と化し、排煙はかくの如しだ。
この列車は最後尾に気動車が繋がっている。この2輌は木曽福島まで運ばれたのち、834Dの増結車両となって中津川まで自走して戻るのである。
(2020.4.24音声公開。視聴には外部スピーカーへの接続を推奨。)
『木曾谷を駆け下る』 地貨4652列車 D51・・D51 田立 1969.3.27
田立のあたりでは中央西線は東西に走っており、北側には南に開けた緩斜面があり冬でも日差しさえあればポカポカと暖かだった。のんびりと座り込んでいると、前後のデコイチにエスコートされるように貨物列車がすべり下りてきた。
『D51重連木曾谷を下る』 832列車 D51707+200 田立 1970.5.31
2機のデコイチが大きな車体をきしませながら木曾谷を駆け下っていく。田立あたりの中央西線中部では重連は珍しかったが、この当時832列車は木曽福島から回送がついて重連となっていた。
前機のD51707は糸魚川区からの転属機だが、集煙装置は本務機D51200の長工式とは違い松任式のままのようだ。
『西日を受けて』 D51771 田立 1969.3.27
西に傾いた太陽からの斜光線が車扱混載貨物の様々な貨車を照らし出す。
『ダム湖畔を行く』 D51 田立 1969.3.27
田立から南木曽へ1km半ほど行くと中央西線は山口ダム湖畔を走るようになる。ここを行くデコイチは猛々しさはないが軽快なブラストを奏でながら登って行く。今は新線ができてトンネルで貫いてしまい、この辺りの旧線は国道19号になってしまった。
『山肌を這うように』 673列車 D51 田立 1969.3.27
山肌にへばりつくようにデコイチの貨物列車が走っていく。山腹上方には大きな岩が顔をのぞかせており、いまにも豪雨で落ちてきそうだ。この旧線は今は国道19号線となりスノーシェッドが設けられて、嘗てはこんな光景であったことを知る由もない。
『ダウンヒル』 D51777…D51 田立 1969.8.8
田立のあたりでは上り列車はダウンヒルだ。煙が出てはいるが絶気である。このゾロ目777号機は中津川区名物青ナンバープレート機の1機であったが、名古屋区時代には赤プレートで中央西線を走っていたことはあまり知られていない。興味のある方は、リンク先の榊原茂典氏のサイト「私の中央西線」(木曽中央部)を参照されることをお勧めする。この罐は今刈谷市で保存展示されている。
『ブラスト高らかに』 653列車 D51192 田立 1970.12.25
田立の辺りは特別な急勾配ではないが延々と上りが続いている。デコイチの奏でるカットオフの効いた小刻みなブラストのリフレインが耳に心地よい。
8671列車 D51501 田立 1970.12.25
規則正しいブラストを刻んでデコイチの牽く貨物列車が登ってくる。経路上には冷たい空気に包まれてエグゾーストが漂っていた。
『木曾谷田立の秋』 669列車 D51209 1971.11.21
針葉樹の多い木曾谷だが、田立の丘から見下ろせばこの時季そこここに紅葉を見つけることができた。
デコイチの吹き上げる排煙で列車は隠れてしまったかと思ったが、この日の669列車は定数いっぱいと長く編成後部がわずかに残っていた。
『デコイチ重連急行木曾谷を駆ける』 臨急客9825列車 D51893+495 田立 1970.12.25
1970年も年末の木曾路の一大ページェント臨時急行9825列車の幕が開いた。細雪ちらつく中、白煙が遥か彼方から見え始め、やがて2機の咆哮が重なりつ乱れつぐんぐんと迫ってくる。2機の姿をファインダーにしっかり認めたときまだ12輌の長大編成は排煙の向こうに長々と連なっていた。眼下に繰り広げられる重奏して天をつんざくようなブラスト音と濛々たるエグゾーストの圧倒的なクライマックスにしばし我を忘れて立ち尽くしていた。
『白煙に包まれて』 669列車 D51245 田立 1971.4.4
『南木曽駅の列車交換』 829列車 D51402⇔830列車 D51851 1969.5.3
南木曽駅でデコイチの牽く829列車と830列車の客車列車同士が交換する。山の美林が木曾谷らしい。
『木曾川沿いに駆け下る急行貨物』 地貨4652列車 D51698・・D51430 十二兼 1971.4.4
デコイチが急行貨物を牽いて木曽川沿いを駆け下る。地域間急行貨物の4652列車は塩尻-中津川間で後補機を従えているが、残念ながらこのアングルでは後補機の姿は分からない。
『木曾谷を行く その1』 831列車 D51777 十二兼 1971.4.4
木曾谷は深く広い。西に傾いた日差しを浴びながら力走するデコイチの煙がもう白くないことが春の訪れを告げている。
『木曾谷を行く その2』 831列車 D51777 十二兼 1971.4.4
『巨岩の河原を左手に』 653列車 D51192 十二兼 1970.12.25
陽ざしのない冬の夕方近く、木曾谷は冷気を伴った靄が立ち込めようとしていた。十二兼あたりでは白い大きな岩が河原にゴロゴロしている。それを横目にデコイチが雲竜のような排煙を吹き上げて登ってきた。
『木曾川を右手に』 694列車 D51267 十二兼 1970.12.25
小雪ちらつく木曾谷をデコイチの貨物列車がシュルシュルと足早に駆け下る。中央西線は電化に伴い新線に切り替わった部分も多いが、木曾川沿いのこの辺りは今も変わらずここを走っている。ただ、およそ半世紀の年月が線路の両脇の樹木を大いに伸ばしてしまい、もうほとんど木曾川を見渡すことはできない。(2019.12.6記)
『小雪ちらつく夕暮れ道を』 673列車 D51898 十二兼 1970.12.25
1970年のクリスマス、木曾谷には小雪がちらついていた。こんな日は午後3時半を回るともう薄暗くなり高感度フィルムTRI-Xをもってしても高速シャッターを切ることは難しい。
デコイチは一歩一歩足元を確かめるように登ってきた。木曾路の先行きはまだまだ長い。
木曾谷を下るD51重連貨物 652列車 D51849+D51 須原 1971.12.25
木曾谷は積雪地帯ではないが冬の寒さは厳しい。年末のこの頃、山の上は白くなっている。
『木曾谷須原を行く』 667列車 D51265 須原 1971.12.25
木曾谷には古くからの小さな発電所がいくつもある。この須原発電所もその一つで、蒸機との取り合わせは昭和の木曾谷の代表的な風景に挙げてよいだろう。
『伊奈川橋梁を渡る』 665列車 D51921 大桑 1971.12.25
デッキトラスの伊奈川橋梁をエグゾーストも力強くデコイチの車扱貨物列車が渡ってきた。この形の良いトラス橋も右手に建設中の新橋に間もなく置き換えられてしまった。
『夕暮れの中津川機関区』 中津川機関区 D51402ほか 1969.3.27
1969年当時中央西線の電化は中津川までなっており、その先の木曾谷は中津川・木曽福島両区所属の貨物・勾配線区用蒸機D51の独壇場だった。中津川機関区には扇状庫がなかった。そのせいもあるし中津川駅から間近に見通せることもあって、私はついぞこの機関区を訪れることがなかった。