Nostalgic北陸 2号室 小浜線・七尾線・越美北線
福井県や石川県にはいくつものローカル線があり中型や小型の蒸機が走っていた。名古屋から比較的近いこと、北陸地方の大学に進学してからは地の利もあって度々訪れた。北陸の各ローカル線は海あり山ありそれぞれに固有の景観を持っていたが、共通していたのは日本の鉄道の原風景を思い起こさせてくれたことだ。
『百名山荒島岳に見守られて』 8154列車 88623 越美北線牛ケ原 1971.8.6
北陸の小京都、越前大野を出て福井へ向かう列車は牛ケ原の先で峠に差し掛かる。パッパッパッパッ、パッパッパッパッ、ハチロクが歯切れの良いブラストを響かせて懸命に登坂していく。見守るのは日本百名山の一峰、荒島岳だ。
『蝉しぐれの中を』 322列車 C58325 七尾線徳田 1970.8.3
七尾線は、能登半島の付け根に近い七尾のあたりは豊かな森を貫いて走る。森は朝早くから蝉しぐれでシゴハチの息遣いも聞こえぬほどだ。
『能登路の朝』 324列車 C58140 七尾線徳田 1970.8.3
雲の厚い早朝、シゴハチの牽く金沢行き普通列車が姿を現した。真夏というのに白煙が美林に映えた。
『柔らかな夕陽の中を』 321列車 C58140 七尾線能登二宮 1970.8.3
暑かった夏の一日も暮れようとしていた。沈みかけた陽の光に側面を輝かせながらシゴハチの牽く客車列車が通り過ぎる。
166列車 C58159 七尾線能登二宮 1970.8.3
七尾線は七尾から北がC56、七尾より南がC58の受け持ちだった。夕日をいっぱいに浴びてシゴハチの牽く貨物列車が能登二宮駅を通過して行く。
『出発4分前』 922列車 C58250 小浜線敦賀 1970.8.5
小浜線敦賀駅6:22。敦賀発京都行客922列車の発車4分前だ。機関士は最終点検に余念がない。
921列車 C58164 小浜線松尾寺 1970.8.5
小浜線は若狭湾、小浜湾、舞鶴湾を巡って走る海沿いの路線だ。だが山間いの峠もいくつも越えていくので、海あり山ありと景色は変化に富んでいる。シゴハチの牽く京都発敦賀行き普通列車が、京都と福井の県境に程近い松尾寺駅に進入してきた。
『若狭の夏』 C58171 小浜線加斗 1970.8.5
暑い日だった。俯瞰するにも適当な山が見当たらず線路際で海を入れて構えた。機関助士が手を振ってくれたのを今でも昨日のことのように覚えている。
『若狭の夏 その2』 972列車 C58294 小浜線加斗 1970.8.5
若狭の海も空も底抜けに青かった。あまりに青すぎて何かしら色を添えてくれる花を探してみたが見当たらなかった。何の葉っぱだろうか、しっかりと代役を果たしてくれた。
『敦一区の罐たち』 C58171 敦賀第一機関区 1971.5.3
敦賀第一機関区のシゴハチとして標準的形態のC58171。この年の9月に小浜線さよなら列車を牽引して引退、今は敦賀市で保存されている。なお、機関区内は許可を得て撮影している。
『敦賀第一機関区風景』 C58222 敦賀第一機関区 1971.5.3
敦賀第一機関区の給水塔前にはC58222号機が佇んでいた。この罐のスタイルはシールドビームでないLP403前照灯、旋回窓でない原形窓、スノープラウ装着とこの区のものとは少々毛並みが異なる。
サイドに回り込んでみると「福」の文字が目に入った。それは福井区ではなく福知山区の区名札なのだった。
『敦賀第一機関区風景 その2』 C58325 敦賀第一機関区 1971.5.3
敦一区のガントリークレーンの前にはC58325号機が佇んでいた。モノクロームながらナンバープレート
の地色が赤いことが見て取れる。転属前の七尾区時代の姿のまま敦一区で過ごし、この5ケ月後罐の火を落としたようだ。
『敦一区の転車台』 C58228 敦賀第一機関区 1971.5.3
敦賀第一機関区の転車台にはC58228が乗っかっていた。僚機のほとんどは出払っているようだ。この罐はその後東北に転属し廃車後は石巻市で保存されたが、震災に巻き込まれてしまったと聞き心が痛む。
敦賀駅入換風景 C58325 1971.8.6
敦賀は北陸本線と小浜線の分岐点だ。両線の列車が顔を合わせる。折りしも481系の金沢行き雷鳥が通りかかった。
973列車 C58228 小浜線美浜 1971.5.2
美浜あたりの小浜線は海岸線から少し離れたところを走っている。シゴハチが小刻みなブラストを口ずさんでやってきた。
『若狭湾を右手に』 976列車 C58325 小浜線美浜 1971.5.2
赤いナンバープレートのC58325が若狭湾を右手に快走する。七尾区や敦賀区のシゴハチには赤プレート機がかなりいて、高山本線のシゴハチを懐かしく思い出した。
『田植えの頃』 921列車 C58223 小浜線美浜 1971.5.2
田んぼには水が張られ田植えが始まっていた。この辺り名勝三方五湖に程近いが、この山からは望むことはできなかった。
『風薫る里山の五月』 938列車 C58223 小浜線西敦賀 1971.5.3
田には水が張られ野には花咲き風薫る里山の五月を汽車が駆け抜ける。(2019.12.25音声公開)
『C58重連小浜線を行く』 921列車 C58263+C58222 西敦賀 1971.5.3
この日は季節列車の運用でもあったのか、921列車は回送がついてC58の重連でやってきた。
『若狭の山間いを行く』 976列車 C5849 小浜線西敦賀 1971.5.3
敦賀を出た小浜線の上り列車は美浜に着くまでの間に一山越えねばならない。長い貨物を牽いたシゴハチがブラストも猛々しく登坂してきた。この罐は4年前に広島駅で芸備線824列車の先頭に立っていた。煙室戸下の末広がりのシンダー除けが広島工場整備機の証である。
(2020.11.20追記、音声公開。視聴にはイヤホン、TVほかの外部スピーカーへの接続を推奨)
『芽吹きの若狭を行く』 924列車 C58223 小浜線西敦賀 1971.5.3
山の若葉萌える西鶴賀の山間いをシゴハチが駆け上がってきた。貨物列車と違い旅客列車のブラスト音はハイピッチでせわしない。
『真夏の越前大野の昼下がり』 28651 越美北線越前大野 1970.8.4
越前大野は北陸の小京都と呼ばれる盆地の町だ。ボーッとなるような暑さの中、ハチロクがわずかな貨車を牽いてガーダー橋を渡ってきた。
『タブレットを受け取って』 28651 越前大野 1970.8.4
タブレットの受け渡しはローカル線では日常的な光景だ。
『越前の峠越えに挑む その1』 8153列車 88623 越美北線計石 1971.8.6
ブラストも高らかにハチロクが計石-牛ケ原間の峠に挑む。大正生まれで排気膨張室を持たないハチロクのブラストはクリアで歯切れがよい。(2019.12.25音声公開)
『越前の峠越えに挑む その2』 8153列車 88623 越美北線計石 1971.8.6
ハチロクがブラストごとに一塊の排煙を形作ってブラスト音も力強く峠道を登っていく。8620という罐は元来亜幹線用急客機なのだが、空気制動式国産蒸気機関車の中で最も粘着率が高く空転しにくい特性を買われて、晩年は各地のローカル線で貨物列車の牽引にもあたった。
『サミット目指して』 8153列車 88623 越美北線計石 1971.8.6
『越前牛ヶ原の雨上がり』135D キハ35 越美北線牛ヶ原 1971.8.6
夕立の上がった越前大野の山間いをキハ35がやってきた。ハチロクの牽く客車列車を見たかったがこの頃越美北線の旅客列車はすべてDC化されておりハチロクの担当は貨物列車のみとなっていた。ただ、ヨンサントオ改正直後にここをハチロクのお召列車が走っている。そんな晴れがましいハロチクの姿は、この長閑な里山の風景からはなかなか想像することすら難しい。
『七尾湾の入り江を行く』 161列車 C56159 七尾線笠師保 1973.6.5
七尾西湾の入り江に架かるガーダー橋をシゴロクの貨物列車が渡ってきた。入り江なのに水鏡になっていたことに焼き付けた写真を見て初めて気が付いた。
『能登鹿島駅出発』 161列車 C56159 七尾線能登鹿島 1973.6.5
能登鹿島駅をシゴロクが貨物列車を牽いて出発していく。撮影記録が雑で、長らくこの日の撮影場所が分からなかった。最近になって先輩と同行したことが分かり、その先輩から場所を教えてもらうことができた。この場を借りて御礼申し上げる。なお当初、駅名を西岸駅と誤表記しておりました。お詫びして訂正します。(2017.5.31追記)
『七尾湾に沿って』 166列車 C56154 七尾線西岸 1970.8.3
七尾湾は能登半島と能登島に囲われた入り江となっていて、日本海としては波の穏やかなところだ。赤いプレートのC56が七尾湾に沿って走り抜けて行った。(2019.12.25音声公開)
『追憶の能登路』 161列車 C56159 七尾線西岸 1973.6.5
ここを訪れたのは大学に入ってすぐの年の春だった。あくまでも静かな七尾北湾、それに沿うように走る汽車。私が遠い過去に置き忘れた能登の原風景だ。
『能登の初夏』 8161列車 C56159 七尾線能登市ノ瀬 1973.6.5
輪島に近い能登の山間いを七尾線は何度も大きなカーブを描いて走っていく。そんな路線に小さなテンダー機関車C56はよく似合っていた。
『奥能登を行く』 161列車 C56154 七尾線能登市ノ瀬 1970.8.3
奥能登の山間いに反響するヒグラシの蝉しぐれの中、シゴロクがガーダー橋をゆっくりと渡っていった。
『河原田川沿いに登る』 166列車 C56154 七尾線能登市ノ瀬 1970.8.3
河原田川の川辺にはヒグラシの大合唱が響き渡っていた。川沿いの急勾配をシゴロクは喘ぎ喘ぎ登って行った。
『杉木立の中を』 166列車 C56154 七尾線能登市ノ瀬 1970.8.3
七尾線の穴水以北は能登半島の山間いを縫って走っていた。河原田川沿いの急勾配をC56は一歩一歩確かめるように登って行った。この光景も遠い昔のものとなり、今ここを走る列車の姿を見ることはできない。
『輪島の転車台』 C56159 七尾線輪島 1973.6.5
転車台に乗ってシゴロクがそろりそろりと回っていく。色とりどりのポピーがそれを見守っていた。
『能登路を行く』 8166列車 C56159 七尾線能登市ノ瀬 1973.6.5
『お座敷列車を牽いて』 9421列車 C56124 七尾線能登中島 1973.6.5
スロ81系お座敷列車の先頭に立ってシゴロクが築堤を懸命に駆け登る。普段は地味な貨物仕業に就いているジコロクの晴れがましい姿だ。
『西岸駅の列車交換』 9421列車,166列車 C56124,159 七尾線西岸 1973.6.5
お座敷列車と貨物列車、C56の牽く列車同士が西岸駅で交換する。
『七尾湾を車窓に見て』 9421列車 C56124 七尾線西岸 1973.6.5
穏やかな七尾北湾沿いにシゴロクのお座敷列車が走りゆく。この年の9月末に同じ列車番号で「ふるさと列車おくのと号」をこのC56124がC11328と重連で牽引し、奥能登の美しい風景の中を行く客車列車の煙は消えた。
『安全弁吹かせて』9421列車 C56124 七尾線能登鹿島 1973.6.5
穴水までの七尾線は七尾湾沿いに進みさしたる急勾配もない。スロ4輌は小柄なシゴロクにも重荷ではないようで安全弁から蒸気を吹き上げてやってきた。