Nostalgic東海 4号室 関西本線中部
関西本線桑名以西は北勢地方の田園地帯から有名な加太越えを経て伊賀地方へと線路は伸びている。そこでの名古屋区のC57、稲一区、亀山区、奈良区のD51たちの勇姿を集めた。ただ、私は加太越えの中在家あたりは訪れていない。なお、4号室は随時追加展示・入替予定。
『鈴鹿川夕景』 265列車 D51 河原田 1969.12.20
鈴鹿という町はサーキットで有名になったが、鈴鹿川流域は広々とした田園地帯であった。年末の夕暮れデコイチの吐き出す白煙がどこかもの寂しい。
921列車 C5767 朝明(信) 1969.4.8
朝明川橋梁に連なる築堤をC5767が駆け登る。客車6輌はC57にも荷が軽いのか煙も見えない。この67号機は補助前照灯や旋回窓から分かるように東北からの転属機だ。
『木枯らし吹くころ』 D51369 富田 1969.11.4
脱穀も終わった田んぼの向こうの築堤をデコイチが重そうな貨物を牽いて登っていく。吐き出す煙も白くなる頃だ。
『北風を衝いて』 274列車 D51571 富田 1969.12.14
朝明川築堤の10‰勾配をデコイチが車扱混載貨物を牽いて登ってきた。枯れ残った葦が北風に揺れていた。今この辺りはすっかり宅地化が進み、当時の面影を残すのはお寺の森くらいのものだ。
『築堤を駆け上がる名古屋区のエース』 225列車 C57139 朝明(信) 1969.2.4
名古屋区のエースC57139が亀山行ローカル列車を牽いて築堤を駆け上る。この時代、ローカル列車といえども8輌9輌はざらだった。排煙が上に登らず流されていることで横風の強さがわかる。
『立春の朝明川橋梁を行く』 254列車 D51203 朝明(信) 1969.2.4
立春といっても鈴鹿おろしはまだまだ冷たい。デコイチが白煙をたなびかせて朝明川を渡っていく。
『フレートライナーを従えて』 2291列車 D51702 朝明(信) 1969.2.4
四日市行2291列車を牽いてデコイチが朝明川築堤を登ってきた。今でこそコンテナ列車はありきたりだが、この時代では蒸機がその先頭に立つ姿はごく一部に限られており、D51702は普段よりも堂々と見えた。
『春は名のみの』 926列車 C57 朝明(信) 1969.2.4
立春とは名ばかり。今にも白いものが舞い落ちて来そうな寒空のもとをシゴナナの牽く926列車が朝明川橋梁を渡っていく。この列車は昨夜天王寺を発って紀伊半島を廻り、ここまでおよそ14時間をかけてやってきた長距離鈍行である。この先、員弁川、木曽三川を越せば終着名古屋まではあと一息だ。
『朝明川築堤を駆け上る』 293列車 D51698 朝明(信) 1969.2.4
1960年代の関西本線では1969年9月の旅客無煙化まで、客車はシゴナナが、貨物はデコイチが牽いて次々とやってきて待ちくたびれることがなかった。
『朝明川を渡る風と汽車』 252列車 D51771 富田 1969.7.31
夏の朝、河原を吹き抜ける涼風は朝明川を渡るデコイチにも一服の清涼剤だ。
『夏の朝』924列車 C5730 朝明(信) 1969.7.31
シゴナナの牽く客車列車が朝明川橋梁を渡って行く。7月の終わりのこの日は朝から暑く乗客は窓を開けて自然換気を図る。急勾配のない関西線東部では煤煙に悩まされることもない。
263列車 D51850 朝明(信) 1969.7.31
朝からまとわりつくような暑さの中、デコイチの牽く貨物列車が朝明川橋梁を渡ってきた。排煙がまったく見えないのも一層暑さを感じさせた。
『関西本線のシゴナナ重連』 225列車 C5783+171 朝明(信) 1969.7.31
関西本線では季節急行6201列車運転の前日に226列車がC57重連となる運用があった。だが、昼間のこの225列車はそのような運用の設定はなく、重連で現れて驚いた。関西本線でシゴナナ重連を見たのは後にも先にもこの1回だけだった。
『朝明川の夏』 263列車 D51850 富田 1970.7.26
朝から晴れ上がった夏空のもと、デコイチの牽く下り貨物が朝明川橋梁を渡って行く。朝明川は鈴鹿連峰の釈迦ヶ岳に源を発して北勢地方だけを流れる二級河川だが、浅瀬の広がるこの川に汽車はよく似合っていた。
『夏霞の朝明川築堤を登る』 274列車 D512 富田 1970.7.26
朝から夏霞にもやる朝明川築堤を、あたかも頭上をかすめて飛行機が通り過ぎたかのような徐々に低く重くなるブラスト音を響かせて稲一のエースが登っていった。
(2020.6.19音声公開。視聴にはイヤホン、TVほかの外部スピーカーへの接続を推奨)
『粋な白塀見越しの松に・・・』 263列車 D51739 朝明(信) 1969.12.14
春日八郎の歌に歌舞伎の「与話情浮名横櫛」の名場面を歌った「お富さん」というのがある。この歌に出てくるのは黒塀だが、この白塀もなかなかのものだ。いかにも黒い蒸機を引き立ててくれそうではないか。むろん当時の私がこの歌を知っていて、ここで口ずさんでいたわけではない。
『春はいずこに』 263列車 D51771 朝明(信) 1970.3.19
朝明川の築堤をデコイチの牽く貨物列車がやってきた。日差しには力強さを感じるものの田んぼの藁塚と吹き降ろす鈴鹿おろしの冷たさは何カ月も変わりがなかった。
『鈴鹿おろしに煙ちぎれて』 2291列車 D51209 朝明(信) 1970.3.19
北勢地方のこのあたりでは冬は強い北風が吹き付ける。鈴鹿おろしと呼ぶようだが、濃尾平野に吹く伊吹おろしと同じくらい強くて冷たい。後ろの白い山々は鈴鹿連峰だ。
『デコイチと近鉄特急』 252列車 D51850 朝明(信) 1970.3.19
近鉄名古屋線の関西本線オーバークロス地点、デコイチの貨物列車を近鉄特急が追い越していく。
『デコイチと菜の花』 293列車 D51209 朝明(信) 1969.4.8
春、咲きそろった菜の花が真っ黒な蒸気機関車と鮮やかなコントラストを演出してくれる季節だ。
『デコイチと少年』 富田 D51201 1970.3.19
黒煙を上げて驀進してくるデコイチを少年が見つめている。今も昔も鉄道は少年たちのあこがれの的だ。D51201はシールドビームに旋回窓と稲一区罐としては少し毛並みが違っていた。これは高山本線仕様なのだ。今は蒲郡市で保存されている。
『関西本線のデコイチ重連』 252列車 D51369+D51522 富田 1970.7.26
関西本線東部には貨物列車の重連仕業はない。この列車は重連だが次位は申し訳程度しか煙を上げておらず有火回送であろう。それでも重連は珍しく思わず笑みがこぼれた。
263列車 D51903 朝明(信) 1971.1.15
稲一区には珍しいカマボコドームのD51903がやってきた。この罐は準戦時形にあっても調子が良かったよのか、前年には東海道本線の蒸機イベント列車の牽引に抜擢されたり、この後は中津川区に転属して木曾谷でも活躍した。
『冬晴れの築堤を上る』 274列車 D51571 富田 1971.1.15
長い貨物列車を従えたデコイチがゆったりとしたリズムのブラストを響かせて朝明川築堤を登っていく。
『早春賦』 293列車 D512 朝明(信) 1971.2.7
立春も過ぎたというのに伊勢平野北部には冷たい鈴鹿おろしが吹き付けていた。D512号機の排煙もちぎれて横に流されていた。まさに春は名のみである。
『寒風をついて』 293列車 D512 朝明(信) 1971.2.7
築堤にD512のフォルムが浮かび上がった。雪雲と強風に流れる白煙のコントラストが美しい。
『吹き付ける鈴鹿おろしの中を』 262列車 D51 富田 1971.2.7
コンクリートパイルを積んだ長物車を連ねてデコイチが築堤を行く。これは後補機が逆行で押し上げているところではない。強い鈴鹿おろしが後ろになびくはずのエグゾーストを前に押し流しているのだ。
『最後の強者』262列車 D51649 富田 1971.4.25
お別れの日に262列車を牽いてやってきたデコイチは重々しい集煙装置を装備していた。このD51649は前年2月に長野運転所から稲一区へ転属してきたのだ。一方、テンダーは鋳鋼製台車でスマートな印象だ。量産形は本来板台車なので、おそらく量産試作形のほかの罐のものと振り替えたのだろう。
『藁塚のできるころ』 921列車 C5730 河原田 1969.9.21
脱穀も終わり、いくつもの藁塚ができた田園地帯を天王寺行を牽くシゴナナが軽快なピッチのブラストを奏でながら駆け抜けて行く。初秋のこの時期は白煙にはならず、機関助士の腕がよいほど煙は薄い。火床にむらなく投炭された石炭は黒煙を吹き上げることなく完全燃焼するからだ。
『凸の影』 926列車 DD51662 河原田 1969.12.14
1969年12月河原田の野辺を客車列車がやってきた。先頭には朱い機関車が凸形の影をくっきりと描いていた。それはC57がもう居なくなってしまった今、もっと早くからここを訪れていればという私の悔悟の念の照り返しでもあった。
『野良の語らい』 288列車 D51468 河原田 1970.3.19
河原田あたりの関西本線は畑の中を横切っていく。通り過ぎる汽車は野良の語らいの妨げにもならぬ日常の一部だった。
『排煙濛々と』265列車 D512 河原田 1971.2.7
朝明川築堤で捉えた293列車のD512は四日市から265列車を牽引して亀山に向かう。四日市停車中に227列車で追い抜いて河原田で再び捉えることができた。河原田辺りはきつい勾配はないのだが2号機は排煙濛々と姿を現した。
『ナメクジ快走』 265列車 D512 河原田 1971.2.7
D512号機が北勢地方の野辺を快走する。初期形のデコイチは「ナメクジ」と呼ばれたが言い得て妙なニックネームである。砂箱と蒸気溜のケーシングが煙突から連続していてナメクジのようだからだが、量産機より大きな砂箱と蒸気溜があの中に納まっているというわけではない。煙突のすぐ後ろに給水温め器が縦置きされているのだ。
『雨中の力走』 265列車 D512 鈴鹿 1971.3.31
この時期としては珍しい大粒の強い雨の中、デコイチ2号機が濛々たる排煙とともに鈴鹿川沿いを足早にやってきた。
『鈴鹿の野辺を行く』 263列車 D51739 鈴鹿 1969.11.23
笹島や稲沢線でよく見かけた稲一区のデコイチ。取り立てて何の追加装備もないがその分原形に近く、関西本線の野辺を行く姿はいかにも素朴でデコイチらしかった。
『晩秋の鈴鹿を行く』 262列車 D51823 鈴鹿 1969.11.23
鈴鹿といえばサーキットで有名だが、この辺りはのどかな田園地帯だった。デコイチが真っ白なエグゾーストを気持ちよさそうに上げながら駆けていった。
『夏は来ぬ』 262列車 D51571 鈴鹿 1970.7.26
梅雨明けの太陽は北勢地方にもじりじりと照り付けていた。夏霞にもやる鉄路をデコイチが黒煙を吐きながらやってきた。
『梅雨明けの鈴鹿川沿いを行く』 263列車 D51850 鈴鹿 1970.7.26
関西本線は鈴鹿のあたりでしばらく鈴鹿川沿いに走る。貨物列車を牽くデコイチにも梅雨明けの太陽は容赦なく照り付ける。
263列車 D51903 加佐登 1971.1.15
加佐登あたりも伸びやかな田園地帯だ。デコイチが濛々たる黒煙を吹き上げて驀進してきた。
『雨の島ケ原駅』 264列車 D51703 1971.3.30
1971年の春、関西線、紀勢線、和歌山線を巡る撮影旅行に出た。初日の島ケ原駅は春の穏やかな雨が降っていた。
264列車 D51703 島ケ原 1971.3.30
そぼ降る雨の中、デコイチが上り貨物列車を牽いて勾配を登ってきた。この列車は後補機が付いておらず単機牽引だった。
荷41列車 D51253 島ケ原 1971.3.30
この頃関西本線の亀山以西では荷物列車が設定されていた。雨の島ケ原をデコイチの牽く荷物列車が駆け下る。
『木津川に煙たなびいて』 荷44列車 D51885 島ケ原 1971.3.30
木津川沿いの大カーブをデコイチの牽く荷物列車がぐるりと煙をたなびかせながらやってきた。
『梅の里を行く』 261列車 D51940・・D51614 島ケ原 1971.3.30
島ケ原は有名な月ヶ瀬梅林に近い。梅林と列車を絡めて撮りたかったが、梅林は名張川沿いで鉄道は近くを通っていなかった。それでも、歩き回ってみると木津川べりに梅の花を見つけることができた。
『加太峠目指して』 789列車 D51613・・832 関 1971.3.30
関西本線の下り列車は関を過ぎると加太越えに連なる峠道に差し掛かる。鈴鹿川沿いを後補機を従えたデコイチがブラストも高く駆け登ってきた。
『加太を越えて』 790列車 D51882・・D51403 関 1971.3.30
加太を無事越えてきた前後のデコイチは足取りも軽く駆け下って行った。
724列車 D51623 関 1971.3.30
関西本線というと補機付きの貨物列車の加太越えが有名だが、加太越をするのは貨物列車だけではない。この列車は京都発草津線経由亀山行724列車。デコイチが単機牽引で加太を越えてくるのである。
『鈴鹿川を渡る』 荷45列車 D51934 関 1971.3.30
鈴鹿川橋梁をデコイチが短い荷物列車を牽いて渡って行く。このときの写真を見返すと荷物列車がやたら多い。この時代、湊町-亀山間は急行紀伊と草津線直通以外の旅客列車はすべてDC化されていたのだった。
『分岐点の駅にて』 D511045 柘植 1973.3.26
関西本線と草津線の分岐点駅、柘植では戦時形デコイチの1045号機を見かけた。退行しているようだが何をしているところだったか思い出せない。
『加太越えの重装備機』 荷44列車 D51403[奈] 柘植 1973.3.26
デコイチが荷物列車の先頭に立って柘植駅で出発待機していた。この奈良区のD51403は、重油併燃装置と後藤式集煙装置を装備した加太越え仕様だ。
加太越え機といえども砂まき管は第2動輪の前と第3動輪の前後、合わせて片側3箇所に変わりはない。
『加太越えの関守り』 1793列車 D51(後補機) 加太 1973.3.26
加太越えでは中在家の有名ポイントへはついぞ行かなかった。懸命に押し上げる後補機に目が行ってそちらにカメラを向けた。
1293列車 D51934 加太 1973.3.26
加太越えのデコイチが盛大に黒煙を上げて登坂してきた。最後尾では後補機が懸命に押し上げているのだが、ここからは見られない。