Nostalgic東海 6号室 樽見線・武豊線・二俣線
樽見線は大垣から、また武豊線は大府からの東海道支線でそれぞれC11が運用されていた。樽見線は伊吹山を望む揖斐川堤防あたりに陣取ると東海道本線も合わせて撮影できたので何度か訪れた。この線は美濃本巣-大垣間のセメント輸送を担っていて、C11が運用されていた。一部の列車は重連だった。武豊線はなじみ深い稲一区のC11が運用されていた。二俣線は掛川-新所原間を浜名湖の北を回って結ぶ風光明媚な路線だ。ここは湖畔あり峠越えあり田園ありでC58が様々な表情を見せてくれた。
『揖斐川の初夏』 C11155 樽見線東大垣 1969.6.1
揖斐川の堤防は広々とした河川敷の向こうに伊吹山を望めてのんびりできるところだ。
C11の牽くセメントタキ主体の貨物列車がガタンゴトンと大きなジョイント音を響かせてトラス橋を渡っていく。
『二俣線のC58重連』 674列車 C58284+C5899 新所原 1969.8.22
二俣線は新所原駅で東海道本線から分岐する。二俣線貨物列車を牽いて重連のシゴハチが新所原を出発していく。(2019.8.30列車番号訂正274→674)
『奥浜名の入り江を行く』 671列車 C58152 二俣線三ケ日 1969.8.22
ミカンの産地で有名な三ケ日は奥浜名湖でも最も奥まったところに位置している。入り江の横をシゴハチの牽く貨物列車が絶気でやってきた。(2024.9.23列車番号訂正274→671)
『ドレインを切って』 C58152 二俣線三ケ日 1969.8.22
腕木信号機の現示は進行。ドレインを切ってシゴハチが出発していく。
『三方が原越えに挑む』 676列車 C58 二俣線都田 1969.8.22
二俣線は随所に25‰の勾配があった。ここ都田では三方が原越えが待ち受けている。シゴハチがセメントタキの入った重そうな編成を牽いてブラストも高く登ってきた。
『峠を越えて』 673列車 C5820・・C58151 二俣線都田 1969.8.22
峠を越えたシゴハチの牽く貨物列車がみかん畑の間を滑るように駆け下りてきた。
『遠江の秋』 676列車 C58215 二俣線都田 1970.11.8
みかん畑の向こうの築堤をシゴハチが懸命に登坂してきた。この二俣線は今では天竜浜名湖鉄道の天浜線となっている。大河ドラマのキャラクターが描かれたラッピングDCが走り、大勢の観光客でにぎわいを見せる路線に生まれ変わり、汽車の煙は遠い過去のものとなってしまった。(2017.11.3記)
『奥浜名湖畔を行く』 673列車 C5820 二俣線西気賀 1969.8.22
二俣線の西気賀、寸座あたりは奥浜名湖に面しており風光明媚なところだ。金指駅近くのセメント工場からのセメントタキを連ねてシゴハチが視界を横切っていく。
678列車 C58152 二俣線西気賀 1969.8.22
西気賀ではセメントタキを連結した貨物列車を牽いてシゴハチがやってきた。夕立がありそうな雲行きになってきた。
『豊橋駅の朝』 二俣線931列車 C58215 1970.11.8
豊橋駅に二俣線旅客列車を牽いてシゴハチが滑り込んできた。二俣線の客車列車はこの頃1往復のみとなっていた。
豊橋駅機回し風景 C58215 1970.11.8
到着した客車列車から機関車は切り離されていく。
『晩秋の湖西を行く』 671列車 C58200 二俣線尾奈 1970.11.8
二俣線尾奈の築堤を軽そうな荷を牽いてシゴハチが駆け登ってきた。200号機だ。高山線以来の再会だった。変形デフもディテールも当時と変わっていない感じで嬉しかった。
『刈入れすんで』 676列車 C58215 二俣線敷地 1970.11.8
敷地あたりは天竜川東岸ののどかな田園地帯だ。シゴハチも短編成の貨物を牽いてのんびりと駆けていく。
『収穫のあと』 675列車 C58219・・365 二俣線敷地 1970.11.8
わずかな貨車を前後のシゴハチが運んでいく。後補機はほとんど力行していないようだ。この辺りの稲刈りは時期が遅いのか稲架がけがまだあった。
『脱穀のころ』 675列車 C58219 二俣線遠江一宮 1970.11.8
稲架がけして天日干しが終われば脱穀だ。稲作の〆の作業を見ながら汽車が駆けていく。
『赤い機関車を先頭に』 683列車 DE101029+C58153 二俣線宮口 1970.11.8
この頃二俣線にもC58の後継となるDE10が姿を現し始めていた。このときは予期しておらず、赤いカマを見て反射的にシャッターを押してしまった。あまり写ってほしくないという心理が働くのだ。だからこの写真は大幅にトリミングしている。二俣線から煙が消えたのは4か月あまり後の1971年3月末のことである。
『夕日に輝いて』 648D キハ113 二俣線新所原 1970.11.8
新所原駅で出発を待つキハのサイドに大きく西に傾いた太陽が反射する。キハ10系は50年前のこの頃各地のローカル線で走っていたが、小ぶりの車体と角の丸い上段窓が愛らしかった。
(2020.11.6記)
『揖斐川の雨』 C11 樽見線東大垣 1969.3.2
揖斐川橋梁には雨雲が低く垂れ込め小雨が降ってきた。トラス橋をC11の牽く貨物列車が渡っていく。この情景の前では小さなブラスト音も雨音も聞こえてこなかった。
『樽見線のC11重連』 C11154+358 大垣 1969.3.2
大垣駅ではC11重連がセメントタキを連ねてスタンバイしていた。C11154のデフの縁取りがちょっとおしゃれだ。
『揖斐川堤の初夏』 576列車 C11155 樽見線東大垣 1969.6.1
梅雨入り前の気持ちよく晴れ渡った朝、C11がセメントタキが入った重そうな編成を牽いて揖斐川築堤を登ってきた。
『大垣のシーチョンチョン』 575列車 C11358 大垣 1971.12.29
大垣にはこの頃機関区はなかった。樽見線に運用されていたC11はなんと大垣電車区の所属だったのだ。
『ドレイン切ってさあ出発』 575列車 C11358 大垣 1971.12.29
大垣駅をC11がタキを連ねて出発する。隣には大垣駅常備のキ552の姿も見える。大垣より西の東海道本線と北の樽見線沿線は多雪地帯である。
『タンク機関車発進』 575列車 C11358 大垣 1971.12.29
『衣浦湾をバックに』 566列車 C11211 武豊線亀崎 1970.6.21
武豊線にはC11の牽く貨物列車が夜間も含めて日に5往復くらいあったと思う。平坦路線で見せ場というべきところもないので訪れたのは1回こっきりだった。
『田植えも済んで』 563列車 C11377 武豊線亀崎 1970.6.21
知多半島の根元、武豊線の亀崎あたりは水田が広がっていた。平坦なところをC11がわずかな数の貨車を牽いて転がっていく。日本中どこにでもあった長閑な光景だ。