Nostalgic近畿 2号室 紀勢本線西部・和歌山線・草津線・信楽線
1971年の3月末から4月初めにかけて紀勢本線、和歌山線を巡る撮影旅行に出かけた。旅のはじめは菜種梅雨にたたられたが、中盤からは春らしい陽気の中、紀中や紀北の山や里を行くC57、D51、DF50の姿を求めて歩き回った。唯一心残りは紀勢本線での海べりの写真が一枚もないことだ。南紀には美しい海岸線が広がっていたのになぜ海を望む撮影地を行程に組み入れなかったのか、さっぱり思い出せない。
『和歌山線の朝』 521列車 C57147 和歌山線笠田 1971.4.2
菜種梅雨の長雨が続いたが久しぶりに気持ちよく晴れ渡った。朝の斜光線にシゴナナの吐く煙が浮かび上がる。
『三雲の朝』 721列車 C58267 草津線三雲 1970.8.6
この辺りは旧街道の伊賀道なのか立派な松が連なっていた。折りしも長編成の客車列車を牽いてシゴハチがやってきた。
722列車 D51693 草津線三雲 1970.8.6
723列車 D51623 草津線三雲 1970.8.6
朝から暑い日だった。通勤列車であろう、次々と長編成の大津、京都方面行客車列車がやってきた。
D511007 草津線貴生川 1970.8.6
東海地方では見かけなかった戦時形のD511007号機がやってきた。テンダーが船底形になっただけでヒップアップしてデコイチもなかなかよいスタイルになったと思った。
『山も霞む暑さの中を』 783列車 D51693 草津線貴生川 1970.8.6
むせ返るような暑い日だった。絶気で駆けてくるデコイチのロッド音が湿気の多い空気にまとわりついた。
『甲賀の里を行く』 D51623 草津線貴生川 1970.8.6
甲賀の里、貴生川をデコイチが貨物列車を牽いて軽快に進んできた。いかにも混成車扱貨物らしい編成が楽しい。木材を満載したトキがとび色ということにこのカラー写真をスキャンしてみて初めて気が付いた。
『黒煙吹き上げて』 788列車 D51718 草津線貴生川 1970.8.6
もわっと肌にまとわりつくような暑さの中、不規則な畦道の田んぼの向こうをデコイチが黒煙を吹き上げながらやってきた。列車を待つ身も暑いがキャブの中の暑さはいかばかりだったろうか。
『杣川橋梁を渡る』 D51 草津線貴生川 1970.8.6
風もなく照り付ける太陽にげんなりしていた。そんな日でもデコイチは元気に鉄橋を渡って行った。
591列車 C58 信楽線貴生川 1973.3.26
草津線貴生川から分岐する信楽線にはこの頃日に1往復の貨物列車が運行されていた。貴生川から次の雲井まで続く急勾配をシゴハチがタキを従えて登坂してきた。(2019.9.17線区名修正。草津線→信楽線)
『雨の紀伊由良を行く』 321列車 C577 紀勢本線由良 1971.4.1
紀伊半島を廻る撮影旅行3日目も雨の幕開けとなった。形の揃った旧客編成を牽いてC577がやってきた。この罐は参宮線以来の再会だった。この後、1972年に汐留-東横浜間を走った鉄道100周年記念列車を、1973年に紀勢本線さよなら南紀を牽引して引退、今は田辺市で静かに眠っていると聞く。(2019.12.25一部追記、音声公開)
『紀州みかんの里を行く』 323列車 DF5049 紀勢本線由良 1971.4.1
この頃の紀勢線西部では客車列車は8割方DF50の牽引、残りはほぼC57、ごく一部がC58の牽引だった。
みかん畑の向こうをDF50がエンジン音もにぎやかに登ってきた。
非電化複線区間を行くデコイチ 1377列車 D51158 紀勢本線和佐 1971.4.1
この頃紀勢線西部の貨物列車はD51が牽引していた。DF50の設定があったかどうかはよく知らない。非電化路線では珍しい複線区間をデコイチが絶気でやってきた。
1130列車 DF5040 紀勢本線和佐 1971.4.1
和歌山線の非電化複線区間をDF50が各駅停車を牽いてやってきた。DF50の牽く旧客もこんな里山の風景によく馴染んでいたと思う。
123列車 DF506 紀勢本線和佐 1971.4.1
DF506号機が紀勢本線和佐の山間いをやってきた。どことなく柔和な表情に見えるのは下り勾配のせいなのだろうか・・。
DF50の1号機から6号機までの試作車は、7号機以降に較べて前照灯の位置が高く、前面の額部が狭くて丸みを帯びていたのだ。
『排煙濛々と』 1382列車 D51930 紀勢本線和佐 1971.4.1
和佐から稲原への勾配をデコイチが濛々たる排煙を上げて登坂してきた。この日は穏やかな一日だった筈だが、このときは煙が渦巻いて編成後部を包み込んでしまった。
1383列車 D51469 紀勢本線和佐 1971.4.1
紀中の山間のカーブをデコイチの貨物列車が滑るようにやってきた。この頃になると春の長雨もやっと上がり陽光が降り注いだ。
『夕暮れ迫る稲原駅にて』 327列車 DF507 紀勢本線稲原 1971.4.1
夕暮れ迫る稲原駅に量産試作機のDF507が客車列車を牽いて滑り込んでくる。この時代、どこの駅でも駅員が列車の運行にかかわっていた。
『春の長雨上がって』 1134列車 C577 紀勢本線稲原 1971.4.1
稲原でカメラを構える頃にはお天気はすっかり回復していた。春の日差しをいっぱいに浴びてC577がブラスト高く駆け上ってくる。
『南紀の春』 322列車 DF5030 紀勢本線稲原 1971.4.1
4月初めの日、中紀の山間いはミカンと梅の花で彩られていた。客車列車を牽いて駆け抜けるDF50のオレンジが目に眩しい。ミカンは収穫時期を過ぎているので生っていたのは別の果物かも知れない。
『みかんのなる丘より』 325列車 C58 紀勢本線稲原 1971.4.1
紀伊田辺発和歌山市行の325列車はシゴハチが牽いてきた。この区間の客車列車の牽引機はDF50,C57,C58とバラエティに富んでいた。
『紀ノ川平野の朝』 523列車 C57119 和歌山線西笠田 1971.4.2
背後に和泉山脈を望む紀ノ川平野をシゴナナの牽く通勤列車がやってきた。朝のしじまを破って長い汽笛が響き渡る。
『笠田の大カーブを行く』 523列車 C57119 和歌山線西笠田 1971.4.2
4日目も朝から気持ち良く晴れ渡っていた。笠田の大カーブで見た長編成の客車列車の先頭に立つシゴナナの姿はライトパシフィックの魅力に溢れていた。
この119号機はおよそ1年後の1972年3月14日、同じ523列車牽引を最後に引退。今は和歌山市で美しい姿を保って保存展示されていると聞く。(2020.4.17追記)
『紀州笠田の野辺を行く』 591列車 C5880 和歌山線笠田 1971.4.2
朝の斜光線を浴びてC58が行く。どこの野辺でも当たり前に見られた汽車のあるこんな情景が懐かしい。
591列車 C5880 和歌山線笠田 1971.4.2
『青客を連ねて』 525列車 C58221 和歌山線下井阪 1971.4.2
青15号に塗られた青客を連ねてシゴハチがやってきた。折りしも咲きそろった菜の花と美しい色の対比となった。
青客はもともと急行列車用に近代化改造された旧客がこの色に塗られたものだと思うが、この頃は各駅停車にも茶色旧客と併用されていた。
『和歌山平野の春』 591列車 C5880 和歌山線下井阪 1971.4.2
紀ノ川とその川沿いの和歌山線を見てみたいと思っていた。実際には川沿いに走るところはほとんどなかったが、沖積平野らしい風景が広がっていた。穏やかな春の日、和歌山線下井阪を行くシゴハチは柔和な表情に見えた。
592列車 C58201 和歌山線下井阪 1971.4.2
和歌山線はローカル線ながら貨物列車も相応の編成長があり、カーブではシゴハチの貨物列車らしい綺麗な編成写真となった。
592列車 C58201 和歌山線紀伊山田 1971.4.2
紀北の山田は高野山にも近い。太い丸太を横目にシゴハチの貨物が通り過ぎる。
593列車 C58193 和歌山線隅田 1971.4.2
隅田には藁葺入母屋造の民家があった。屋根が急傾斜だがここはそんなに積雪するのだろうか。こんな風景にプレーリーC58はよく似合っていた。
『春うらら』 592列車 C58201 和歌山線隅田 1971.4.2
春うらら。遅咲きの梅と菜の花に見送られてシゴハチが出発していった。
『みかん畑を縫って』 596列車 C5880 和歌山線大谷 1971.4.2
ここは紀州、みかんも紀州みかんに違いなかろうと思った。一面のミカン畑を縫ってシゴハチが駆けていく。