Nostalgic中四国 2号室 山陰本線・播但線・姫新線・土讃本線
1974年の7月、本州のほとんどの線区では無煙化が達成されており、蒸機は東北地方の一部と山陰本線西部に残るのみとなっていた。未訪問だった山陰本線だけに絞って思い切って撮影旅行に出掛けた。エメラルドグリーンの石見の海とそれを背に走る蒸機を見ていると、その美しい鉄道風景はずっと以前からあり、いつまでも見られるように思えてならなかった。播但線・姫新線へは1970年春の九州撮影旅行の帰りに、山陰本線東部へは1970年夏の北陸撮影旅行時に訪れた。土讃本線は観光旅行の合間に一人早起きして撮影した記憶がある。
『四国の雪晴れの朝』 224列車 DF50 土讃本線大歩危 1976.1.6
学生時代、下宿仲間と四国へ観光旅行に訪れた。私一人、朝早く旅館を抜け出して驚いた。辺り一面の雪ではないか。前々日の高知では20℃もあったというのに。ようやく差してきた朝日の照り返しとSGのスチームが暖かそうだった。
『石見の磯辺を行く』 876列車 D511054 山陰本線岡見 1974.7.25
山陰海岸岡見の磯辺をデコイチが絶気でやってきた。山陰本線は美しい海岸線に沿って走り、風光明媚な撮影地が数多くある。だが、走っている蒸機がデコイチだけのせいか、この日他の撮影者の姿を見掛けることはなかった。
『岡見の磯辺を下に見て』 D51 山陰本線岡見 1974.7.25
『石見の海に抱かれて』 534列車 DF50 山陰本線岡見 1974.7.25
この辺りの日本海は本当に美しいエメラルドグリーンだ。引き込まれるように見とれているとそこへ深い朱色のカマが飛び込んできた。
画像を再編集の上、差替えを行った。(2018.7.27解説書換、画像差替)
『石見海岸沿いを行く』 1891列車 D51 山陰本線岡見 1974.7.25
石見海岸岡見あたりの海岸は山がそのまま海に落ちていて開けた砂浜は少ない。やってきたデコイチの排煙も海風に乗って上に吹き上げる。
『岡見の磯辺にて』 862列車 D51 山陰本線岡見 1974.7.25
岡見の磯辺で涼んでいるとデコイチの牽く短い貨物列車がやってきた。混載編成に1輌だけ連結されたコキに鎮座する4つのコンテナがユーモラスだ。
『日本海を右手に見て』 2765列車 D51243 戸田小浜 1974.7.25
『山陰海岸の夏』 876列車 D51581 山陰本線石見津田 1974.7.26
『エメラルドグリーンの海に沿って』 571列車 D51473 山陰本線石見津田 1974.7.26
山陰の海は美しいと聞いていたが、車窓に広がる石見海岸の透き通ったエメラルドグリーンには目を奪われた。
『エメラルドグリーンの海に沿って その2』571列車 D51473 山陰本線石見津田 1974.7.26
1974年7月、既に本州でもデコイチの走る線区は山陰本線西部に限られていた。故にここには最後の奉公を務める罐たちが各地から集結していた。このD51473は長工デフなのに後藤式集煙装置という変わり種であった。新見区時代に集煙装置を長工式から後藤式に交換したのだ。
『石見津田の丘より』 862列車 D51715 山陰本線石見津田 1974.7.26
穏やかな波の音が繰り返す石見海岸沿いを上り貨物列車を牽くデコイチは絶気でやってきた。本州最後のデコイチの牙城となった山陰本線ではこのときも数多くのデコイチの貨物列車が行き交っていた。
電化によるポールが立つこともなかったので、この4ケ月後にはデコイチたちが姿を消すということが嘘のように思えてならなかった。
『盛夏の石見海岸を行く』 1891列車 D51581 山陰本線石見津田 1974.7.26
山陰石見の海は心に真っ直ぐに入ってくるような透き通ったエメラルドグリーンだ。うっとりと見とれていると傍若無人にも盛大に黒煙を吹き上げながらデコイチがやってきた。しかしながらその懸命な走りっぷりはやらせではない昭和の貨物列車そのものだった。
『五十猛浜の朝』866列車 D51158 山陰本線五十猛 1974.7.28
曇天でまだ薄暗い早朝の五十猛の海岸沿いをデコイチの牽く貨物列車が駆けていく。この列車は後続の各駅停車で追い抜いて、宍道湖畔でもう一度見ることができたのである。
『五十猛の松原に沿って』 571列車 D51620 山陰本線五十猛 1974.7.28
五十猛の海辺をデコイチが車扱混成貨物を牽いてやってきた。スキャンしたとき画面が傾いているのかと思ったがこの辺りも冬場は強風なのだろう、松が傾いたまま固まっている。多くの路線からさよなら列車の報が届く中、こんな長編成の先頭に立つデコイチを見て感慨深かった。
『長距離鈍行を牽いて』544列車 DF50545 山陰本線宍道 1974.7.28
DF50545号機が544列車を牽いて宍道駅を出発していく。この時代、全国の亜幹線では長距離鈍行が数多く見られた。この列車も浜田発東舞鶴行という長旅である。
『宍道湖畔を行く』 866列車 D51158 山陰本線宍道 1974.7.28
宍道湖畔をデコイチが貨物列車を牽いてやってきた。もう少し高いところから宍道湖を大きく写し込みたかったが、時間が足りなかった。後で気付いたことだが、これが現役蒸機を私が記録した最後の一枚となった。
『由良川沿いを行く』 837列車 C5739 山陰本線立木 1970.8.5
山陰本線東部、京丹後の鉄道風景を見たくて5万分の1地形図を頼りに俯瞰を試みた。思った以上に樹木や竹が生い茂り由良川を見晴らすことはできなかった。
『京丹波の里を行く』 D51 山陰本線立木 1970.8.5
『シゴナナ臨急京丹波を行く』 急客8916列車はしだてビーチ1号 C5741 山陰本線立木 1970.8.5
蝉時雨の中、臨時急行はしだてビーチを牽いてシゴナナがトンネルから飛び出してきた。間合い運用であろうか、この昼行臨時急行は10系寝台車を連ねていた。
『朝の通勤列車を牽き出す』 1628列車 C11278 播但線寺前 1970.3.28
C11が空高くエグゾーストを吹き上げ盛大にドレインを切って長大な客車列車を牽き出しにかかる。その迫力はC57にも引けを取らない。
634列車 C5797 播但線寺前 1970.3.28
和田山発姫路行各駅停車を牽いてシゴナナがやってきた。長編成の先頭に立つパシフィックは凛々しい。
『カモメが飛んだ』 691列車 C5711 播但線寺前 1970.3.28
播但線は路線規格が低くD51は入線できず貨物列車も旅客機C57の担当だ。下り貨物を牽いてC5711がやってきた。11号機とは門司港区時代は特急かもめ専用機で、デフにはかもめ翼波頭装飾が付けられていたという。
『播州の山里を行く』 1625列車 C11331 播但線寺前 1970.3.28
播州の山里をC11の牽く客車列車がのんびりとやってきた。播但線の姫路-寺前間の客車列車はC11の仕業だった。
『生野越えに向けて』 631列車 C5734 播但線寺前 1970.3.28
客車列車を牽いてやってきたシゴナナは黒い排煙を盛大に吐いていた。次の停車駅、長谷から先には険しい生野越えが待ち受けている。キャブでは機関助士の懸命の投炭が続けられている筈だ。
『播但線の異種重連』 DD542+C5723 播但線寺前 1970.3.28
生野越えを果たしたDD54とC57の異種重連コンビが貨物列車を従えてガーダー橋を渡ってきた。C5723とは半年ぶりの再会だった。元名古屋区の罐で関西本線旅客無煙化後、豊岡区に転属してきていたのだ。
『生野越えの協調運転』 DD542+C5794 播但線寺前 1970.3.28
生野越えに連なる登り坂をシゴナナがDD54の力を借りて登ってきた。旅客機C57が貨物の先頭に立つ姿は違和感があるが、播但線は線路等級が低く貨物機D51は入線できないのだ。前補機のDD542号機は少々いわくつきの機関車だ。この2年ほど前に山陰本線で急行牽引中、推進軸が破損落下して脱線事故を起こしていたが回復して元気な姿を見せてくれた。
『春のお昼の寺前駅』 636列車 C5752 播但線寺前 1970.3.28
寺前駅にシゴナナ牽引の姫路行普通列車が滑り込んできた。乗客はまだ厚着のようだが日差しはもう春の暖かさを感じさせた。
『播州の野辺を行く』 C58204 姫新線太市 1970.3.28
シゴハチが混成貨物を牽いて駆けていく。播州太市の午後、春霞かかる里山の一コマだ。
823列車 C58258 姫新線太市 1970.3.28
太市の里は竹林が多かった。しだれかかる竹をよけるようにしてシゴハチの牽く客車列車がやってきた。
『竹林を抜けて』 1823列車 C11252 姫新線太市 1970.3.28
シゴハチの次にやってきた普通列車はC11のバック運転だった。バック運転と分かっていればサイドから狙うんだったと思った。どうやら姫路-上月間の客車列車はC11の受け持ちだったようだ。
『哀愁の単機』 C58315 姫新線太市 1970.3.28
播州太市の坂道を単機のシゴハチがブラストもか細く登ってきた。石炭も使い果たしたのだろう。後ろ姿に哀愁が漂っていた。
『大歩危峡の朝』 224列車 DF50 土讃本線大歩危 1976.1.6
朝早く旅館を出て驚いた。辺り一面白くなっているが霜ではない。山奥とはいえ四国で積雪を見るとは思わなかった。ようやく山の上に顔を出した朝日が竹林の雪と客車に照り輝いた。