Nostalgic九州 2号室 鹿児島本線中部・日豊本線
鹿児島本線へはハドソンC60とC61の姿を求めて2度訪れた。もう少しロケハンしてサイド画なり俯瞰画なり撮っていればと今になって思うが後の祭りだ。 就職の直前、学生時代の先輩の招きで学友とともに宮崎を訪れた。せっかく九州へ行くのだからと一人だけ1日早く関門トンネルをくぐり日豊本線美々津の地を訪れた。
『不知火海を縫って』 急行3201列車 桜島 C60104 上田浦 1968.8
急行桜島をインカーブで撮ろうと思っていた。駅から思いのほか遠く懸命に走った。目標のポイントに着く前にC60に牽かれた桜島が姿を現した。走って来る少年をいぶかった機関助士に警笛を鳴らされてしまった。
『不知火海を左手に』362列車 D5194 鹿児島本線上田浦 1968.8
打瀬船が白い帆を上げる不知火海を左手に見てデコイチが上田浦駅に進入してきた。このナメクジ型のデコイチは中京地区では希少だったが九州では結構な数を見掛けた。
『不知火海沿いに下るC55』 9133列車 C5519 鹿児島本線上田浦 1968.8
このコマをスキャンしたとき、なぜC55が海沿いを走っているのか思い出せなかった。記録メモから紐解いていくうちにこの列車は八代発佐敷行だとわかった。この列車は人吉機関区C55の受け持ちなのだ。この2ケ月後、C5519は若松区に転属している。
『南国のハドソン』 C6023 鹿児島本線熊本 1967.5
父親に連れられて九州観光旅行に出かけた。その途中熊本でハドソンを間近に見ることができた。磨き抜かれたボイラーがまぶしい。
『南国のハドソン その2』 C6132 鹿児島本線熊本 1967.5
熊本には鹿児島区のC61も留まっていた。C60とC61の並びに夢中でシャッターを押した。
125列車 C6029 鹿児島本線肥後高田 1968.8
種車のC59譲りの長いテンダーがC60のチャームポイントだ。このアングルで見る従台車とテンダーはハドソンC60の魅力に溢れていると思う。
(2021.2.19音声公開。註:音声は本機の急行8112列車桜島牽引時で列車が異なる。視聴にはイヤホン、TVほかの外部スピーカーへの接続を推奨)
130列車 C6112 鹿児島本線肥後高田 1968.8
C61が上り普通列車を牽いて橋梁を渡ってきた。記録では肥後高田となっているがどこの橋か覚えがない。八代との間であれば球磨川橋梁であろうか。
『ローカル列車を牽いて』 123列車 C6114 鹿児島本線八代-上田浦間 1968.8
鹿児島本線123列車を牽引中のC6114を車内から撮った何の変哲もない写真だが、この罐にはエピソードがある。
汽笛の音が割れていて、ブタの悲鳴のようだった。この写真を見るたびにあの汽笛を思い出す。
『肥後の夏を行く』 臨時急行9212列車 第2しろやま C60102 鹿児島本線佐敷 1968.8
盆暮は帰省の季節列車が増発されるので撮り鉄には嬉しい時季だった。この列車もそのうちの1本なのだが当時の時刻表を処分してしまい列車愛称が何だったのか分からなかったが、1968.8時刻表を調べる機会を得て、これは第2しろやま号と判明した。(2019.12.25音声公開)
『日本国有鉄道鹿児島本線佐敷駅』 佐敷駅 1968.8
今では八代-川内間の鹿児島本線は、九州新幹線の開業に伴い肥薩おれんじ鉄道となった。この佐敷駅も変わっただろうか。
『肥後高田駅の列車交換』 129列車 C6037 鹿児島本線肥後高田 1968.8.16
肥後高田駅で132列車と129列車の客車列車同士が交換する。暑いので助士席の前面扉は開放されているようだ。
『悠然たり熊本機関区』 D51547,D5181,C60102 熊本機関区 1968.8
熊本機関区ではC60と2輌のD51が悠々と煙をくゆらせて庫で休んでいた。排煙にかすんでいるが、後方には九州鉄道時代からの煉瓦造りの機関庫もそびえている。
熊本機関区に憩うC60107 1968.8
熊本機関区には鹿児島区のC60が佇んでいた。なお、機関区内は許可を得て撮影している。
『美しき南国美人』 C60107 熊本機関区 1968.8
1年振りに再会した南国のC60。その優美なたたずまいに思わず見とれた。
『美しきハドソンサイドビュー』 C60107 熊本機関区 1968.8
ハドソンの肝ともいえる従台車。戦後型のC60107は船底形テンダーの鋳鉄製台車まで流れるような連続性が美しい。
729列車 9600+9600 豊肥本線熊本 1968.8.16
熊本駅を豊肥本線宮地行普通列車が出発していく。牽引機はキューロクの重連だった。あのご婦人は何であんなところに立っているのか今もって不思議である。
132列車 C6131 鹿児島本線水俣 1970.3.25
C60とC61はどちらもハドソン形の大型旅客機で、機関車本体だけ見るとにわかに見分けがつかない。ただ、C61のテンダーはD51に似た形状でC60のそれより短いので、テンダーを見ればC61とすぐ分かった。
この頃の鹿児島区のC61は多客期の季節急行を除いて優等列車の先頭に立つことはなく地道に各駅停車運用に甘んじていたが、DD51が登場するまでは栄光のブルートレイン牽引機だったのである。
(2020.6.5Nostalgic九州3号室より展示替の上、追記。この列車の津奈木-湯浦間車上音公開。視聴にはイヤホン、TVほかの外部スピーカーへの接続を推奨)
『栄光の記憶』 132列車 C6131 鹿児島本線津奈木 1970.3.25
C6131[鹿]のテンダーのナンバープレート。下の小さなプレートの「10-17・S」はこのテンダーが積載量石炭10t、水17立方mでStoker付であることを表している。このストーカーの装備によりC61は動輪周出力でC60を上回り、門司-西鹿児島間でブルートレインはやぶさの先頭に立つという栄光に輝いていたのである。
(音声は津奈木-湯浦間車上音の一部。視聴にはイヤホン、TVほかの外部スピーカーへの接続を推奨)
急客8213列車しろやま71号 C6112 鹿児島本線上田浦 1970.3.25
新登場の12系編成の臨時急行の先頭にC61が立ってやってきた。ストーカーを装備したC61は連続高速運転をする優等列車向き、シリンダー牽引力が大きいC60は頻繁に停車・発車を繰り返す各駅停車向きというような話を聞いたことがある。しかしながら、すでに定期優等列車仕業がDD51に譲られていたこの頃の鹿児島本線では特にそういう使い分けはしていなかったように思える。
(2018.3.9列車愛称名追記。2020.5.1追記)
『ハドソン不知火海岸を駆ける』 急行8213列車しろやま71号 C6112 鹿児島本線上田浦1970.3.25
上田浦の海岸に降り注ぐ春の光は力強かった。それでも風はまだ冷ややかで蒸機の吐き出す煙は白い。急行列車を牽いて駆け抜けるハドソンC61の颯爽たる姿が眩しかった。
6965列車 D51272 鹿児島本線上田浦 1970.3.25
不知火海の海岸沿いをデコイチが貨物列車を牽いてやってきた。この辺りで門鉄デフのデコイチは少なかったと思う。この罐が東京の世田谷区で保存されていると知ったときは驚いた。
『不知火海沿いを北上する急行貨物』 急貨5062列車 D51602 鹿児島本線上田浦 1970.3.25
車窓に広がる不知火海が美しい上田浦辺りだが、線路脇まで崖が迫っており引きのとれる俯瞰ポイントがなかなか見当たらなかった。それでも不知火海を背景に収めたくてサイドからのアングルに構えた。ワキ10000で組成されたデコイチの急行貨物がジョイント音も軽やかに颯爽と駆け抜けて行った。
『ナメクジが行く』 小貨96列車 D5194 鹿児島本線上田浦 1970.3.25
ナメクジ形デコイチの94号機は上から後追いで狙った。なるほど、ナメクジとは言い得て妙である。
『不知火海に沿って』 133列車 C6028 鹿児島本線上田浦 1970.3.25
不知火海沿いをC60が気持ち良いピッチで南下してくる。電化を控えたポールと架線がやや目障りだが、それでも幹線を行く大形旅客機の勇姿を堪能した。
135列車 C6132 鹿児島本線上田浦 1970.3.25
うららかな日差しが不知火海岸にはいっぱいだった。それでも空気は張りを持った冷やかさを保っていてC61の吐く息は白かった。
『不知火海岸を行くはやぶさ』 特別急行5列車はやぶさ DD5141 鹿児島本線上田浦 1970.3.25
この頃鹿児島本線の優等列車はDD51が牽引していた。同じ鳥栖区の仕業の「さくら」はヘッドマークを掲げていたと思うが、この「はやぶさ」は何故かヘッドマークを付けていない。このブルトレをもっと海辺リで撮りたかったのだが、狙いのポイントに着く前にやってきてしまった。
『日向灘を左手に』 ED7611 日豊本線美々津 1977.3
日向灘を望む美々津の日豊本線をED76が穀類専用貨車ホキ2200を連ねてやってきた。九州の交流電機といえば、ED72,ED73,ED74,ED75,ED76,EF70と機種が豊富だったが、この頃の日豊本線ではED76の独壇場だったのか、それ以外のカマは見かけなかった。
『春浅き耳川を渡る』 特別急行8列車富士 ED76 日豊本線美々津 1977.3
ED76に牽かれたブルートレイン「富士」がまだ春浅き耳川を颯爽と渡っていく。個室A寝台車に食堂車を連結した豪華列車だ。
この頃はブルトレ黄金期だった。この年の3月、東京発のブルトレは「さくら」から始まって「いなば・紀伊」まで9本、この耳川橋梁を渡るブルトレも下りだけで彗星が3本に富士1本の計4本を数えた。
私の乗車した九州ブルトレは3段式の記憶しかなく、この24系25形には後年「日本海」に乗車したのみである。(2018.3.16一部修正)
537列車 ED769+ED763 日豊本線美々津 1977.3
ED76基本番台1次車の9号機と3号機が重連で客車列車を牽いてきた。
532列車 ED76 日豊本線美々津 1977.3
この地を訪れたのが1976年なのか1977年なのか初め思い出せなかった。決め手となったのがこの写真だ。
日の丸写真派の私でもこの写真は早切りだ。客車の側面に春闘のスローガンが書きなぐられており「うわっ」とばかり思わずシャッターを切ってしまった。スローガンには「77春闘勝利」の文字があった。
『美々津海岸を行く富士』 特別急行7列車富士 ED7655 1977.3
ED7655が25形ブルートレインを牽いて姿を現した。このブルトレはヘッドマークを掲げていないので私は長らく「彗星」とばかり思い込んでいた。この頃の日豊本線のブルートレインはすべてヘッドマークがなかったと教えられ、当時の時刻表を見直すとこれは「富士」と分かった。彗星の編成にオロネ25はないのだ。