特別展示 1号室 ゴハチノスタルジア
私が生まれた翌年には東海道本線は米原まで電化がなっており、私は東海道本線を行く蒸機を知らない。そこで子供の頃から見て育ったのはスマートな電気機関車の姿だった。中でもEF58は常に長大編成の急行列車の先頭に立ってやってきた。のちにこの機関車の牽く急行列車の多くは遠く九州まで行く夜行列車と知り、遙か彼方の地に思いを馳せるとともに、夢を乗せて走ってくれるこの機関車は私にとって憧れの存在となった。そんな心の故郷に連れて行ってくれるような急客機ゴハチの懐かしい姿をご覧いただきたい。
『長き尾を引く彗星のごとく』 急行34列車高千穂 EF58 東海道本線枇杷島 1967年頃
庄内川橋梁をゴハチが長大編成の上り急行列車を牽いて駆け抜けて行く。記録がないが1967年頃の写真だ。編成前半に寝台車、1等車が見えない編成は「霧島」か「高千穂」だが、ハフが連続しているのが「高千穂」の特徴だ。橋脚に軌条の影が落ちている光線から夏場の昼過ぎの撮影と思われる。これは名古屋12:17着の単独時代の「高千穂」に間違いなかろう。
『ゴハチトップの顔』 急行32列車雲仙・西海 EF581 名古屋 1968年
名古屋駅のホームに上がると急行雲仙・西海が停車中だった。先頭には浜松区のEF581が立っていた。
ゴハチトップは前面窓がHゴム仕様で人気がなかったが、むろんそれは更新改造後の姿だ。このときはまだ、新車体改装時の原形小窓・原形ワイパーのままだ。その顔には気品ある美しさの中にも日夜風雨をくぐり抜けてきた急客機の風格が刻まれていた。区名札のとなりの仕業札はいつ頃からか差されなくなってしまった。
『桜島・高千穂を牽いて』 急行31列車 桜島・高千穂 EF58151 名古屋 1970.12.6
151号機がスチームを漏らしながら急行「桜島・高千穂」を牽いて名古屋駅に進入してきた。バックの商業ビルとホテルは今なお健在である。ただ、2022年度から始まる名駅再開発により姿を消すことになるだろう。
「高千穂」は単独時代、「霧島・高千穂」併結時代を経て、このときは「桜島・高千穂」併結時代であった。
『急行くまもとの先頭に立って』急行6034列車くまもと EF5896 東海道本線枇杷島 1970.3.18
季節列車の急行くまもとが庄内川橋梁を渡ってきた。先頭に立つのは宮原区のゴハチ96号機だ。原形小窓、ガーランド形SG排煙口が美しい。
『西日の中を颯爽と』 急行31列車桜島・高千穂 EF5897 東海道本線枇杷島 1971.3.14
97号機が14輌長大編成の急行桜島・高千穂を牽いて庄内川橋梁を颯爽と駆け渡る。東京11:10始発のこの急行はここを16:25過ぎの通過だ。西に傾いた日の光で浮き上がった鼻筋がくっきりと美しい。我が国電機の特徴ともいえる鼻筋はEF66基本番台やEF510などにも継承されているが、これはこのゴハチが嚆矢であろう。
『伊吹山麓の大カーブを駆ける』 特別急行9032列車金星51号 EF58158 東海道本線柏原 1976.8.11
撮影名所、近江長岡-柏原の大カーブをゴハチが季節列車の特急金星51号を牽いて加速してきた。バックには伊吹山が大きくそびえている筈なのだが、この日はあいにく雲隠れされてしまった。ゴハチの特急に縁のなかった私がそれを撮影したのは後にも先にもこのときだけである。
『寝台急行ながさきを牽いて』 急行6031列車ながさき EF5812 東海道本線清洲 1969.3.2
かつて「ながさき」という客車急行があった。1968年から2年間ほど東京と長崎間で運行された不定期急行である。年と時期によって寝台列車だったりハザ主体の列車だったりとカメレオンのような列車だった。この写真を見ると寝台車の間に旧客を挟んでいるように見えるかも知れないが、この旧客のような客車はスハネ30。改造客車で中身は10系客車同等の立派な寝台車だ。先頭に立つ原形大窓の美しい12号機は、随所にある筈のパーツがないという個性的なカマだった。
『荷物列車の先頭に立って』荷34列車 EF5860 東海道本線大垣 1969.3.2
雪を頂く伊吹山をバックにお召予備機の60号機が揖斐川築堤を登ってきた。浜松区に所属していた60号機は東京区の61号機とは違って特別扱いされることなく、普段は僚機と共に荷物列車運用の多い過酷な仕業に就いていた。
『ゴハチ重連急行ちくま』 急行7802列車ちくま1号 EF58125+EF58172 東海道本線木曽川 1976.8.11
夏の夕方近く心地よい風が吹き渡る。その中を急行ちくまを従えた2機のゴハチが築堤に向けて駆け上がって行った。前日荷35列車を牽いて西下してきたゴハチは名古屋で一晩停留して、翌日の「ちくま」の前位回送となり重連急行が出現していた。この2機は奇しくも共に保存されたが、その後125号機の方は解体されてしまったと聞き残念である。
『鉄路のサラブレッド』 荷42列車 東海道本線菊川 EF58+EF58 1969.5
東海道本線の菊川-金谷間には新幹線と並走する区間がある。新幹線の車窓から東海道線を見やると重連のゴハチが駆けていく姿が目に飛び込んできた。2機が疾駆する様はあたかもサラブレッドのように美しかった。
『冬の福浦八景を行く』 荷4047列車 EF58 信越本線鯨波 1977.2
1977年の2月鯨波の福浦八景を訪れた。空は晴れ渡り海も冬の日本海とは思えぬ穏やかさだった。白い雪のじゅうたんと青い海に迎えられて颯爽と駆け抜けるゴハチが眩しかった。
『福浦八景の秋』 1324列車 EF5850 信越本線鯨波 1977.10
福浦八景とそこを行く直流電機に魅せられて再びこの地を訪れた。どちらを向いても美しい風景の中を列車は駆け抜ける。ススキのスタンディングオベーションのなかをやってきたゴハチは立派なスターだ。この地を行くゴハチは東海道山陽筋とはずいぶんと出で立ちが違う。ツララ切り、スノープラウ、電気暖房表示灯、汽笛カバーという上越仕様だ。この50号機の汽笛カバーは東新形の小型タイプである。
『急行みやざきを牽いて湖東を駆ける』 急行9603列車 EF584 東海道本線近江長岡 1971.12.29
ゴハチ4号機が名古屋発都城行き季節急行みやざきを牽いて、ぐっと車体を傾けながら近江長岡の大カーブを走り抜ける。もし今、ホワホワとスチームを漏らすこの列車に乗って行けば、タッタタタタタンというジョイント音の果てしない繰り返しにまどろみながら、遥か遠くに過ぎ去ったあの時代に里帰りできるかも知れないという妄想に囚われる。
『高千穂・桜島を牽いて伊吹山麓を行く』 急行1102列車 EF58163 東海道本線柏原 1974.4.6
換算43輌、現車14輌という長大編成の急行高千穂・桜島を従えてゴハチがウナワハのストレートを飛ばしてきた。
定格速度ではEF65をも凌ぐEF58は、こうした比較的平坦な区間では高速旅客機の真骨頂を発揮した。
高千穂という列車も思い出深い。日豊線回りの高千穂は東京-西鹿児島間を一昼夜以上かけて走っていたことは語り草となった。東海道本線を白昼走ることや名古屋から乗れば翌朝九州に着くこともあり何度か乗車した。末期は旧型客車も使用されていたこともあってか車内はガラガラだったが、2輌のグリーン車が長距離急行としての矜持を保っていた。この最長走行距離急行も1975年の新幹線博多開業とともに過去の世界に走り去った。
『急行あまみの先頭に立って』 急行9601列車あまみ EF5853 東海道本線柏原 1971.12.29
季節列車の急行あまみを牽いてゴハチが柏原のブラインドカーブから飛び出してきた。
原形大窓が美しいこの53号機は、こののち43号機、47号機と並んで宮原区の原形大窓機として人気を博した。個人的には上越色のないこの53号機が宮原ガマらしい端正な容姿で、好みである。
『北帰行』 急行9701列車あおもり EF58168 東海道本線近江長岡 1971.12.29
松林の影からゴハチ168号機に牽かれた青森行季節急行あおもり51号が姿を現した。あおもり51号は都城行みやざきを追うようにやってくるが、米原から北陸線に入り北上していくのだ。ハザばかりのみやざきに比べてあおもりの方はB寝台車6輌にグリーン車4輌と豪華編成だ。ゴハチの肩から漏れ出すスチームを見て、お尻の下から暖めてくれる蒸気暖房とお土産でいっぱいの荷棚を思い浮かべた。明日の朝には家族の待つ故郷に着く・・・。