Nostalgic九州 3号室 鹿児島本線南部・吉都線
1970年の夏、3度目の九州撮影旅行で鹿児島本線南部と吉都線そして鹿児島機関区を訪れた。鹿児島本線では本数は少ないが電化目前、奮闘するハドソンC60とC61の勇姿だ。吉都線では霧島山麓の広大な高原を行くC55とD51が風景に溶け込むように美しい。
『朝焼けに門デフ映えて』 4598列車 C5527 吉都線飯野 1970.3.26
まだ肌寒い春の朝、うろこ雲の浮かぶ空にC55の門鉄デフとエグゾーストが美しく映えた。
『天草灘沿いを行く南国のライトパシフィック』 227列車 C5772 鹿児島本線阿久根 1970.3.25
この頃、鹿児島本線の旅客列車は主にC61とC60が牽いていたがC57もいた。全線電化完成は半年後なのに南九州の阿久根辺りもすでに架線が張られていて少しがっかりした。
『天草灘を右手に』 急行8205しろやま52号 C6037 鹿児島本線阿久根 1970.3.25
天草灘をバックに念願の南の海岸線を行くハドソンを捉えた。この辺りはあまり撮影者もいないのか、機関士と機関助士がこちらを凝視している。
130列車 C6132 鹿児島本線阿久根 1970.3.25
『強風をついて』 荷43列車 C6018 鹿児島本線阿久根 1970.3.25
強い西風に安全弁から噴き上げる蒸気も横っ飛びしている。C6018は煙突脇に小型除煙板を備えており、東北からの転属機とわかる。
132列車 D51255+C6131 鹿児島本線阿久根 1970.3.25
阿久根駅を132列車が出発してきた。予期せぬ重連だ。前機のD51はおそらく回送だろう。
混621列車 C5526 吉都線飯野 1970.3.26
朝まだ薄暗い中をC55の牽く混合列車がやってきた。混成の貨車たちがいかにも九州らしい。
混691列車 D511038 吉都線飯野 1970.3.26
下りの混合列車は戦時形のデコイチが牽いてきた。門鉄デフ、船底形テンダーのデコイチは中京地区では見かけないので、とても格好よく見えた。
客624列車 D518 吉都線飯野 1970.3.26
吉都線の客車列車はこのとき多くはC55が牽引していたがD51も牽いていた。この8号機は1973年5月に廃車になったあと遠く尼崎市に移り保存展示されている。
『えびのの野辺を行く その1』 貨8692列車 C5510 吉都線飯野 1970.3.26
吉都線飯野の静かな朝、力強いブラストが遠くから聞こえて来た。シゴゴの牽く列車に客車の姿はなかった。この1750mmスポーク動輪を誇る美人が貨物列車を牽かねばならないとは、世代交代によるローカル線への転戦が定めとは云え哀れに思えた。(2019.12.25音声公開)
『えびのの野辺を行く その2』 貨8692列車 C5510 吉都線飯野 1970.3.26
『霧島の高原を行く』 1121列車 C5526 吉都線高原 1970.3.26
流麗なスタイルのC55は吉都線の伸びやかな風景に良く似合った。
『高千穂に見守られて』 混625列車 C5533 吉都線高原 1970.3.26
「高千穂」は鉄道ファンには急行列車の名前でなじみ深いが、目の当たりに見る高千穂の峰はもうすぐ4月というのに残雪を抱く秀峰であった。高千穂に見守られてC55の牽く混合列車が勾配を駆け下りて行った。
『霧島山麓を行く混合列車』 混625列車 C5533 吉都線高原 1970.3.26
霧島山を望む吉都線の高原あたりは、その名の通り広々とした高原地帯で早春の香りに包まれていた。この地を行くC55やD51をのんびりと待つのは撮り鉄として至福のときだった。
『霧島を右手に その1』 692列車 D51 吉都線高原 1970.3.26
『霧島を右手に その2』 692列車 D51 1970.3.26
霧島山を右手に臨む築堤をデコイチがカットオフされたブラストも高らかに駆け登っていく。長くたなびく白煙が美しい。いつまでもここで汽車を見続けていたい。そう思わせてくれる南九州たかはるの春だった。
『高千穂を右手に』 692列車 D51 吉都線高原 1970.3.26
吉都線の上り列車は、広原-高原間で車窓右手に韓国岳、新燃岳、高千穂と霧島連山を見て進みゆく。当時の新燃岳は噴煙を上げることもなく落ち着いていて、連山山麓には麗らかな春の日差しがあふれていた。
8691列車 D51889 吉都線高原 1970.3.26
デコイチが下り貨物列車を牽いて高原駅を出発してきた。この889号機の煙室扉ハンドルは九州に多い十字取手付きボックスタイプのもので、磨き出された真鍮が美しい。
『春霞の吉松にて』 831列車 C5533 吉都線吉松 1970.3.26
吉松駅で肥薩線西鹿児島行の先頭に立って出発待機するC5533。この罐は元流線形機でキャブの屋根の丸みと裾のラインにその名残がある。
『門デフの舞い』 D51272,C5721,C57117 鹿児島機関区 1970.3.26
鹿児島機関区に門鉄デフを装着した罐たちが集結していた。門鉄デフとは小倉工場で考案された除煙板であり鹿児島区でのこの光景はちょっと不思議だった。この罐たちは無煙化の波に押しやられて宮崎区に流れて来たという時期でもない。調べてみるとD51272は小倉工場で取付け、C5721と117は、いずれもかつて小倉工場整備歴があり廃車となったC55の門デフと交換している。鹿児島工場は門デフの優秀性を評価していたのだろうか。
『居並ぶ兄弟罐』 D51714,C6112 鹿児島機関区 1970.3.26
C61はD51のボイラーを流用して製造された罐だ。ゆえにこの両機は兄弟である。別々に見ると動輪が大きく軸数の多いC61のほうが大きく見えるように思うが、こうして並ぶと意外にもD51の大きさに気付かされる。なお、機関区内は許可を得て撮影している。
『鹿児島区に憩う』 C5533,D51206 鹿児島機関区 1970.3.26
鹿児島機関区を訪れると、この日私が吉都線の混625列車を撮影し、吉松から牽引の肥薩線客831列車に乗車してきた吉松区のC5533が入区していた。これから石炭と水で腹ごしらえして暫し休息だ。
隣のD51206はその後若松区に転属し、筑豊本線の蒸機最終列車を牽引した。今は佐賀市で保存されているという。
『流線改C5533』 C5533 鹿児島機関区 1970.3.26
C55の20号機から40号機までは元流線形機だ。この33号機はキャブの、丸みを帯びた屋根、後退角のついていない前面および密閉扉の痕跡にその名残を見ることができる。この罐はキャブ下部の太い「レ」の字のラインが特徴的だ。
『南のハドソン』 C60102 鹿児島機関区 1970.3.26
列車を暗くなるまで撮り続けることはせず、よく陽のあるうちに機関区を訪れた。鹿児島機関区ではもちろんハドソンがお目当てだ。C60のスタイリッシュな姿は何度見ても見飽きることはなかった。
『栄光の面影』 鹿児島機関区 1970.3.26
C60102号機のマスク部。中京地区ではほとんど目にしたことのない先輪のディスク輪心がとても重厚に見えた。この102号機は鹿児島本線を走るC60には珍しくヘッドマークステーを装備している。これは嘗て特急列車を牽引した栄光の面影であろうか。
『美しきハドソン』 C60102 鹿児島機関区 1970.3.26
『グラマラスバックビュー』 C60102 鹿児島機関区 1970.3.26
戦後形C60である102号機のバックビュー。長く腰高のテンダーがグラマラスだ。このテンダーを持つ戦後形C60は、戦後形C59と並んでC62を上回る我が国最長の蒸機だ。
『もう一つの南のハドソン』 C6112 鹿児島機関区 1970.3.26
もう一つのハドソン形C61。この角度で見るとC60とそっくりだが、こちらの方がテンダーが短い。それでも船底形のテンダーを持ち野暮ったさはないと思う。
『鹿児島駅で出会った赤いカマ』 ED7652 1977.3
宮崎の友人宅を訪問後、鹿児島市内を観光して鹿児島駅に着いた。そこでもED76の姿があった。九州の交流標準機としての地位を確立し、このときから40年になろうという今なお現役で活躍中のこのカマは、将来直流機のEF65と並んで名機関車として語り継がれることになるだろう。