Nostalgic東海 5号室 関西本線東部
関西本線東部は名古屋から近く手軽に蒸機たちを見ることができた。ここに登場するのは無煙化となった1969年9月までの名古屋区のC57と1971年4月までの稲一区のD51である。
『稲一のエース木曽川築堤を行く』 267列車 D512 弥富 1969.2.4
立春とはいえ空気はまだ冷たい。稲沢第一機関区のエースD512の吐く煙も大きく風になびく。
『排煙空高く名古屋出発』 C5730 1969.1.12
1960年代終わり、関西本線名古屋口の旅客列車はまだC57の仕業だった。C5730が排煙を空高く吹き上げて名古屋駅を出発していく。
『新幹線と並んで』 C57 名古屋 1967年頃
関西本線旅客列車を牽いて名古屋駅を出発するシゴナナは自ら切ったドレインの蒸気に包まれる。後ろはもちろん0系だ。
『向野橋より』 C5762 名古屋-八田 1967.4
名古屋を出発したシゴナナの牽く旅客列車は名古屋機関区の脇を軽快に加速していく。ここ向野橋は旅客も貨物もお手軽に撮影できるポイントでよく通った。
『謎の急行列車?』 名古屋-八田 C57 1967.4
50年も昔のことだと自分の撮ったものも記録がないと何なのかよく分からないことが多い。シゴナナが向野橋の下を旅客列車を牽いて駆け抜ける。この写真も撮影年月以外記録がない。1等車と軽量10系客車が見えるので急行列車であろうか。午後の光線に見えるがその時間に客車急行はない。遅れ「伊勢」か「大和」だとしてもこんな編成ではない。謎は深まるばかり。そこで1967年の時刻表を引っ張り出してみて重要なことに気が付いた。名古屋15:14発天王寺行き921列車は当時1等車を連結しているのだ!写真をよくみると急行のサボが入っていないではないか。どうやら謎は解けたようだ。
『名古屋の門鉄デフ機』 229列車 C5783 名古屋-八田 1968.12.22
関西本線でも門鉄デフのシゴナナが見られた。大分から転属してきたC5783だ。この罐は関西本線旅客列車無煙化まで名古屋区で活躍した。この罐の門鉄デフはオリジナルに較べてステーが片側1本ずつ多い。後年その話を聞いてよもやと思い、改めて写真を見てデフの先端から垂直に1本のステーがあったので驚いた。何でも標準デフに較べて揺動が激しいとの名古屋区乗務員からの訴えで追加されたものだという。(2020.4.10追記)
『門鉄デフ機笹島を行く』 227列車 C5783 名古屋-八田 1969.4.1
名古屋駅を発車した下り客車列車は間もなく右に大きくカーブしながら下り勾配を駆け下りて、名古屋客貨車区の脇を通って加速していく。ドン曇りの1969年4月初日の227列車の牽引機は門鉄デフの83号機だった。名古屋から西へ転属して行った罐は数多くあったが、西から名古屋へ転属してきた罐は珍しい。
227列車 C5723 名古屋機関区より 1969.3.8
名古屋機関区では、機関車を間近に見ることはもちろんのこと、すぐ脇を通る列車たちを見るのも楽しみの一つだった。なお、機関区では許可を得て撮影している。
『梅雨空のもとを』921列車 C57171 名古屋-八田 1969.7.12
梅雨空のもと笹島向野橋の下を天王寺行921列車を牽いてシゴナナが駆け抜ける。夏場のこの白煙は蒸し暑さを物語る。予備前照灯を備えたこの171号機は米沢からの転属機であった。
『名古屋市街をバックに』 229列車 C5723 名古屋-八田 1969.9.13
名古屋機関区の横を亀山行を牽いてシゴナナが駆け抜ける。列車後方には向野橋が、機関区の背景には名古屋駅辺りの市街地が望める。ここには今でこそ超高層ビル群があるが、当時は名鉄系ホテルビルが一番高い建物だった。
『八田駅の追い越し その1』 C5780 1968年頃
八田駅をC5780の牽く普通列車が出発していく。後ろに見えるもう一条の煙は待避している貨物列車のデコイチのものだ。この辺りは高架化されて今ではすっかり景色が変わってしまった。こんな重厚長大な時代が懐かしい。
『八田駅の追い越し その2』 D512 八田 1968年頃
C5780の牽く旅客列車を待避していたのはD512の牽く貨物列車だった。ここは名古屋市内だが、この当時背後には近鉄名古屋線以外何も見えない。
『八田駅の追い抜き』 6286列車,262列車 D51203,D51619 八田 1969.6.7
初夏の太陽も西に傾いたころ八田駅で2機のデコイチが轡を並べた。6286列車が262列車を追い越すのだが、6286列車が出発するには対向のディーゼルカーの到着を待たねばならない。
八田を出発するD51重連 255列車 D51689+D51203 1970.3.20
関西本線東部では重連運転を必要とする急勾配はない。たまに回送機関車が付き重連になると快哉を叫んでいたものだ。
『尾張の水郷を行く』 永和 D51701 1969.7.6
永和あたりは海抜0mの水郷地帯だ。水辺の向こうを行くデコイチも黒煙を上げてはいるが加減弁全開ではなさそうだ。
『ロッド音を響かせて』 267列車 D51893 永和 1969.7.6
この辺りの水郷地帯はあまり起伏がない。デコイチもカランコロンとロッド音を響かせながらのんびりと走っていく。
『水路を渡る』 229列車 永和 1969.7.6
水路に架かる鉄橋を門鉄デフのC5783が各駅停車を牽いて渡ってきた。
『葦原の狭間に』 269列車 D51698 永和 1969.7.6
7月のはじめ、水郷地帯の葦原の成長ぶりは列車を覆い隠さんばかりの勢いで、その狭間からデコイチが顔をのぞかせた。
『水郷の橋を渡る』 227列車 C57139 永和 1969.7.6
お召列車牽引機C57139が各駅停車を牽いて水郷の鉄橋をゴーゴーと渡っていく。梅雨の晴れ間の気持ちの良い日だった。この辺りは今もこんな景色が残っていて驚かされる。
『シゴナナシルエット』 921列車 C5767 永和 1969.7.6
0m地帯の鉄橋をシゴナナの牽く天王寺行き夜行鈍行がしずしずと渡っていった。
『弥富駅の列車交換』 D51369⇔D51873 1968年頃
弥富駅でD51の牽く貨物列車が行き違う。稲一区の多くのデコイチは付加機器の少ないオーソドックスなフォルムだった。ただ、この369号機は長い庇が特徴だった。
『弥富駅で出発を待つ』 D51873 1968年頃
弥富駅でデコイチが出発を待つ。隣に見える倉庫もまるで歴史的建造物のようだ。
『照り付ける太陽のもとを』 D51528 弥富 1968年頃
海面下地帯の弥富にも夏の太陽は照り付ける。里芋の葉陰だけが涼やかだ。
『葉陰涼しく』 D51528 弥冨 1968年頃
海面下地帯の弥富辺りは日差しを遮る高い建物も林もなく里芋の葉陰だけが涼し気だった。
『汽車が来た』 227列車 C5723 弥冨 1968.9.27
シゴナナの牽く下り列車の到着だ。駅では必ず助役が列車の発着に立ち合っていた時代。列車を待つ人々のたたずまいも紛れもなく昭和だ。(2021.9.24列車番号追記)
『海抜ゼロメートル地帯にて』 8226列車 D51369 1968.9.27 弥富
ここは最果ての原野ということではない。後方の木曽川橋梁を渡ってデコイチの牽く車扱混載貨物が弥富駅に進入してきたところだ。半世紀以上前の海抜ゼロメートル地帯の光景である。(2021.9.24記)
263列車 D51209 弥富 1969.2.4
D51209が近鉄旧名古屋線の残骸のある木曽川築堤を排煙濛々と登坂してきた。私はこの罐とは相性がよく随所で会いまみえた。関西本線名古屋口の無煙化に伴い稲一区から中津川区に転じたが、運よくこの罐の牽く急行に乗車することができた。デコイチの牽く急行列車なんてあったのかといぶかられるかも知れないが冬場の中央西線スキー臨はデコイチの仕業だったのだ。私の乗車したのは臨急客9817列車アルペン2号、1971年12月のことである。
『木曽川橋梁目指して』 229列車 C57102 弥富 1969.2.4
弥冨駅を出発した下り列車はすぐに木曽川橋梁への築堤に差しかかる。シゴナナは加減弁満開でブラスト音高く登坂してきた。
(2020.1.31音声公開。註:画像と音声は列車が異なる)
『木曽川築堤を登る』 921列車 C5730 弥富 1969.2.4
弥富を出たシゴナナの牽く天王寺行は木曽川橋梁への築堤を懸命に登坂してきた。
(2020.1.31音声公開。註:画像と音声は列車が異なる)
『木曽川築堤を駆け下る』 224列車 C5730 弥富 1969.2.4
この廃墟のような光景の向こう側は大河木曽川だ。このコンクリートの残骸は近鉄が関西本線をオーバークロスしていた時代の名残だ。
『貨車のわななき賑やかに』 6286列車 D51702 弥富 1969.2.4
D51702の牽く車扱混載貨物が木曽川橋梁を渡り終えて築堤を駆け下ってきた。ジョイント音とワムの扉のわななきが賑やかだ。
『西日を浴びて』 267列車 D51849 弥富 1969.11.23
西日を正面から浴びてデコイチが木曽川橋梁への勾配を登坂してきた。右手に見えるのは近鉄名古屋線旧線跡だ。
『エースD512発進』 252列車 D512 長島 1969.2.4
ナメクジ形デコイチの2号機は関西本線ではよく出会った。貨物機とは思えぬ流麗なスタイルが好きだった。
火床の燃焼状態はもう十分なのだろう。エースの助士席にどっかと座り振り向く機関助士が格好よかった。
『まだ寒き立春の朝』 924列車 C57102 長島 1969.2.4
C57102が紀伊長島発名古屋行924列車を牽いて出発していく。立春といえども朝の冷え込みはまだ厳しく排煙も白く立ち上る。
『長良川を渡って』 274列車 D51201 長島 1971.1.6
デコイチが短い貨物列車を牽いて揖斐・長良川橋梁を渡ってきた。編成が橋梁にまでかかるイメージだったのだが、お正月明けで荷が少なかった。今ならさしずめ空コキだらけのコンテナ列車というところだ。貨車は適宜常備駅へ戻されるが、車扱混載貨物では荷がなければ貨車そのものが繋げられないことも普通だった。
『排煙逆巻かせて』8231列車 D51528 長島 1971.1.6
1月はじめ、北勢地方には鈴鹿おろしが吹きすさぶ。デコイチの吐き出した排煙も強風に煽られて逆巻き、渦を巻く。
『長良川橋梁へ駆け上る』 293列車 D51 長島-桑名 1971.1.6
長島は輪中の中の町だ。関西線は弥冨から桑名までの間に木曽川、長良川、揖斐川の3つの大きな川を連続で越していく。
『輪中を行く』 293列車 D512 長島 1971.2.7
輪中地帯をデコイチ2号機が長編成の貨物列車を牽いて快走する。輪中自体は平坦だが木曽川、長良川、揖斐川の築堤を登るため力行でやってくる。
(2020.2.28音声公開。視聴には外部スピーカー接続を推奨。)
『長島駅の列車交換』257列車 D51155 長島 1970.3.19
単線の亜幹線では駅に滑り込む汽車の窓から顔を出せば対向の汽車がいるのが至極普通だった時代の一齣。デコイチは長工式集煙装置を付けているがここは関西本線長島駅である。この罐は篠ノ井線無煙化に伴い長野から転属してきたばかりであった。