Nostalgic東海 3号室 笹島駅・臨港線
笹島駅は昼となく夜となく入換機のブラストや連結器の緊張していく音や振動、出発する列車の汽笛、ブラストやドレイン音が交錯する蒸機の不夜城だった。名古屋機関区もすぐ隣にあり笹島には従兄弟とともによく訪れたものだ。なお、3号室は随時追加展示・入替予定。
『エース発進』 D512 1969.3.14
稲一区のエースD512が笹島を出発する。高々と立ち上がる排煙と濛々と吹き出すドレインが勇ましい。
『もう1機のナメクジ』 D515 1967年頃
この頃稲一区には3機のナメクジ形デコイチがいた。エース2号機、入換専用の72号機、そしてこの5号機だ。この罐はあまり調子がよくなかったのか1968年の9月に廃車になってしまった。
『デコイチと菜っ葉服の機関助士』 D51208 1967.4
蒸気機関車の乗務員といえば菜っ葉服だった。蒸機に限らず電機もディーゼル機もそうだったかも知れない。
この服の写真を見ると国鉄を懐かしく思い出す。
『笹島の夜』 列車番号不明 D51772 1968年
列車番号の記録がないが笹島駅始発の稲沢方面行を従えてデコイチが出発待機中である。一見静かな雰囲気だが、背後では入換機のブラスト音やら汽笛やら連結器の緊張音やらで不夜城笹島の夜は賑やかである。
『3機種顔合わせ』254列車 D51689+C5877 1968.10.12
向野橋から見下ろした光景。一見デコイチ重連とシゴナナ重連が行き交うようでもあるが、さにあらず。手前の貨物254列車の次位は有火回送のシゴハチである。奥のシゴナナは名古屋機関区の機関車溜りに留め置かれているところだ。254列車はこの後2機が黒煙を吹き上げて出発して行くのである。
『二条の黒煙天を焦がして』 254列車 D51689+C5877有火回送 1968.10.12
C58は稲一区から1968年にはいなくなっていたように思う。このC5877は遠江二俣区の所属だ。このときは有火回送であろう。その割にはデコイチとともに派手に排煙を吹き上げて空が真っ暗だ。
『デコイチ発車』 284列車 D51203 1969.1.12
飽きるほど見た笹島のデコイチの発車シーン。次の名古屋駅まではすぐにきつい上りになるので、物凄いブラストを響かせながら轟然と出発していく。
『笹島の賑わい』 583列車 D51203 1969.3
笹島は稲沢方面出発線のすぐ隣が名古屋機関区なので、この頃は多くのD51,C57,C11がひしめいていた。
『貨物はデコイチ旅客はシゴナナ』 D512,C5767 1969.3.14
関西本線東部では貨物は稲一区のD51、旅客は名古屋区のC57とはっきりとした区分けがあり入れ替わることはなかった。D512の牽く貨物をC5767の牽く旅客列車が追い抜いていく。
『関西線の両雄』 C5730,D51739 1969.9.1
関西線の両雄、名古屋区の旅客機シゴナナと稲一区の貨物機デコイチが笹島で顔を合わせる。デコイチのほうは貨物列車を従えての運用中、シゴナナのほうは名古屋区での出区前だ。このシーンもこの1ケ月後にはシゴナナが一足先に無煙化で姿を消し見られなくなってしまった。なお、機関区内は許可を得て撮影している。
『後部オーライ』 D51873 1969.3.8
機関助士は忙しく投炭を続け、機関士と車掌が後部を確認する。間もなくデコイチの出発だ。
『発車のブラスト一声』 284列車 D51701 1969.7.12
黒煙もうもうと天を衝き、今まさに「ボッ」とブラストの第一声が聞こえようとするところだ。
『発車のドレイン』 284列車 D51701 1969.7.12
発車直後はブロワーの力で立ち上っていた黒煙にブラストが混じり出す。まもなく蒸気機関車は盛大にドレインを切って加速を続けていく。
『D512笹島発車』 254列車 D512 1969.8.18
D512が名古屋区のC57、C11を横目に、ドレインを切って発車していく。後方へのドレインがシリンダより異常に後ろから吹き出しているように見えるかも知れないが、これは給水温め器排蒸気である。D51一次形の給水温め器排水口は第一動輪、第二動輪間にあるがゆえに、これで正常である。(2023.12.8一部修正)
『Departure in the dark(ディパーチャー イン ザ ダーク)』 D51689 1969.3.14
名古屋の貨物ターミナルはこの頃笹島駅で昼夜なく貨物列車が発着していた。夜のとばりが下りると排煙は昇竜のような猛々しさだ。
『平面交差を行くデコイチ』 D51209 西臨港線笹島-中部鋼鈑 1967年頃
その昔、名古屋には2本の臨港線があった。笹島-西名古屋港間の西臨港線と山王信号場-名古屋港間の東臨港線だ。西臨港線は今では「あおなみ線」に姿を変えている。今の荒子駅のあたりで市電と平面交差しており、いまデコイチがガッガッガッガッと通り過ぎたところだ。デコイチの給水温め器と砂箱・蒸気溜めの後ろを真横に横切って見えるのが市電の架線である。
名古屋港入換風景 C50 1970.1.29
名古屋港へは稲一区のシゴマルが朝早くから来て一日入換を行い夕方戻っていくのが日課だった。
名古屋港入換風景その2 C50 1970.1.29
名古屋港でC50が入換をしている。前後にヨまたはワフを連結しそれに誘導員が乗るのが常だった。
今ここには瀟洒な結婚式場が建っている。よもや自分の娘がここで結婚式を挙げることになろうとは、このとき夢にも思わなかった。
『名古屋区の美しき罐たち』 C57,C11,C57 1967.4
名古屋機関区はかつてはC59やC62を擁し東海道本線の特急列車も担当していた名門機関区である。この頃は中央西線の客車仕業もなくなり旅客はC57が担当する関西線のみになっていたように思う。それでも磨き込まれたボイラーに名門機関区の矜持が感じられる。
『赤いナンバープレート』 C5732 名古屋機関区 1967.4
名古屋機関区に佇むC5732。モノクロームながらナンバープレートの地色が黒ではないことが見てとれよう。
名古屋鉄道管理局管内では、ナンバープレートの地色が黒以外に定められていたのは、名古屋区の赤、中津川区の青、美濃太田区の赤、米原区の緑などがあった。このほかにも多治見区が緑だったという話を聞いた覚えがあるが、私は実物を見たことがない。
『名古屋区のエースC57139』 名古屋機関区 1967年頃
名古屋区のお召専用機に指定されていたシゴナナのエース、139号機。モノクロームでもナンバープレート地が赤いことがおわかりいただけよう。今はリニア鉄道館にお召仕様で保存展示されているが、私は普段着のこんな姿も好きである。なお、機関区内は許可を得て撮影している。
C5723[名] 名古屋機関区 1969.3.8
1969年3月の名古屋機関区に佇むC5723。関西線名古屋口の客車列車無煙化を半年後に控えて、機関車の身の回りの世話をする庫内手の養成補充も打ち切られていたのだろう。煤とシミで薄汚れた印象だ。そのことに目をつぶれば付加装置のないすらりとした1次形が美しい。
この23号機はこの後、豊岡区、吉松区と渡り歩いていったが、嬉しいことに私はこの1年後播但線で再会を果たすことができた。
『名古屋区に憩う』 C5730,C57 1969.8.18
名古屋機関区に2機のシゴナナが憩う。関西本線名古屋口旅客列車の無煙化を1ケ月あまりに控え、既にDD51の姿も見える。罐も磨かれず煤けているのが寂しい。この30号機はその後山陰本線で活躍ののち、今は静岡県吉原町で保存されていると聞く。
名古屋区の機関庫 C57171,DD13241,DD13210ほか 1969.9.1
名古屋機関区は全盛期には70機を超える蒸機を擁する大機関区で扇状庫を2つ備えていたと聞く。この頃は扇状庫はなく、名古屋区の機関車たちは検修・機関庫で隣接する客貨車区の内燃車と仲良く同居していた。C57171は名古屋区罐らしくないスタイルだが米沢区からの転属機で、この年の9月末の関西本線名古屋口客車列車無煙化までおよそ1年間活躍した。
『出区前のひととき』 C5730 名古屋機関区 1969.9.1
出区前の乗務員たちの穏やかなひととき。ひとたび罐に乗り込めばおそらく格闘であろう。名古屋区でもこんな情景はこの1ケ月後には過去のものとなってしまった。
『ワルシャートスタイル・メカニズム』 C5730[名] 名古屋機関区 1969.8.18
C57の大きな動輪と弁装置の取り合わせが美しい。
『エキセントリックロッド&リターンクランク』 C5730[名] 名古屋機関区 1969.8.18
『クロスヘッド』 C5783[名] 名古屋機関区 1969.3.8
『補助前照灯』 C5767 名古屋機関区 1969.8.18
この時は何でこの罐は前照灯が2個あるんだろうと思ってアップで撮影した。これが東北のスタイルで米沢区から転属してきたと知ったのは随分と後のことである。67号機はこれから3ケ月あまり後に廃車となり鬼籍入りしてしまった。
『名古屋区のシゴナナ』C5767 名古屋機関区 1969.8.18
名古屋区で出区待機中のC5767。区名札の独特の「名」の文字が目を引く。隣には仕業札も差されているが、この札が差されなくなったのはいつからだったろうか…。名古屋区のシゴナナは1969年9月末の関西線旅客無煙化の日まで差し続けた。
『名古屋のCチョンチョン』 C11221 名古屋機関区 1969.9.1
名古屋区にはこの頃C11が4機ほど在籍していた。殆ど記録もなくあまり印象に残っていないが、名古屋駅周辺での入換と小運転が主な仕業だったような気がする。(2024.5.17追記)
『矩形庫に憩う』 C11272 名古屋機関区 1969.9.1
名古屋区の矩形庫に憩うC11。ナンバーが煤けており写真では全く読み取れないが、これは「ふるさと列車おくのと号」の七尾-珠洲間初代牽引機272号機である。名古屋区時代は名古屋駅周辺の入換作業や武豊線貨物運転仕業に就いていた。(2024.5.17記)
『名古屋市街をバックに』 267列車 D51815 1970.1.2
関西本線貨物267列車が到着した。画面左奥が名古屋駅だ。その辺りに超高層ビルが建ち並ぶようになったのは最近のことだ。
『D51重連笹島到着』 257列車 D51468+528 1970.3.18
前位回送D51重連の塩浜行257列車が進入してきた。この頃の名古屋市街はテレビ塔以外に目立った建物がない。
『笹島出発』 267列車 D51815 1970.1.2
黄金橋から見下ろす国鉄名古屋工場の脇をデコイチが白煙をきらめかせて出発していく。盆暮正月関係なく貨物列車が走っていた時代だ。
『夕日に向かって』 D51203 1968.12.22
早くも西に傾いた冬至の太陽に向かってD51203が笹島駅に滑り込んできた。この罐は量産形とは違いテンダー台車が鋳鉄台枠の好ましいスタイルだった。
『笹島の夕暮れ』 D51 1969.11.4
向野橋から西方を望む。入換中のデコイチ、名古屋機関区の後ろに見えているのが黄金橋。シルエットになった鈴鹿連峰が意外にも高い。
『夜の出発待機』 3885列車 D51636, 264列車 D51815 1969.8.21
貨物駅笹島は夜も眠らない。デコイチの牽く2本のコンテナ列車が並んで出発のときを待つ。
D51636は稲一罐には珍しい重油併燃装置付だったが長野区時代に取り付けられたようだ。
『煙る笹島あたり』 1969.7.6
向野橋より西方、黄金橋を望むと、あたりは関西線を行き交うD51たちと名古屋区のC57,C11たちの排煙で煙っていた。今ならPM2.5がどうだとか問題になりそうだが、この頃は日常のありきたりな光景だった。関西線旅客列車の無煙化をおよそ3ケ月後に控え、名古屋区構内には既にDD51の姿も見える。
『煙雨の中を』 D51352 1969.7.6
梅雨時のそぼ降る雨の中、向野橋をくぐってデコイチの牽く貨物列車が出発していく。
『雨の向野橋』 D51636 1969.7.6
降りしきる雨の中、向野橋をくぐってデコイチが発車していく。梅雨時の湿気で自らのドレインがベールとなって車体を包み込む。
『名古屋駅より下り降りる』 D51893 1969.8.12
列車番号の記録がないが絶気なのでこのデコイチはバック運転で名古屋駅から下りてきたところだろう。0系新幹線と蒸機の競演が見られた時代だ。
『笹島大カーブを下る』 D51203 1969.11.4
名古屋駅から笹島駅へ至る大カーブをデコイチの貨物列車がゆっくりと駆け下ってくる。このカーブの周りの光景は今では様変わりしてしまった。今日から遡ること53年前の笹島の夕景である。(2022.11.4記)
『D51重連笹島到着 1969』257列車 D51893+815 1969.12.13
四日市行257列車が名古屋駅からの大カーブを駆け下り、笹島駅に滑り込んできた。稲沢線にはD51の重連運転はないが257列車はよく回送が付き、見かけ上は重連となっていた。
『賑やかなりし国鉄時代』 D51893ほか 1969.8.12
1969年のとある夏の日、向野橋から見下ろすとデコイチとシゴナナ、ワキ10000にJNRマーク付コンテナと「国鉄」オンパレードだった。
『お正月の笹島にて』 267列車 D51815 1970.1.2
半世紀前のお正月。左下に転車台が見下ろせる黄金橋の上から東北東方向を望む。お正月だからといって貨物列車は運休ばかりというわけではない。今見てみるとこの方角で目立つものはテレビ塔のみ。東部丘陵から猿投山まで広く見渡せることに驚く。(2020.1.10記)
『名古屋区の転車台』 267列車 D51815 1970.1.2
デコイチの向こうに転車台があってDD51が降りようとしている。その周りはDD13、キサロ90、スエ31、スカイラインであろうか。写真は時代を物語っているが、47年後となろうとする今もこの転車台が現役であることに驚かされる。
『向野橋を後にして』 274列車 D512 1971.3.17
D512が向野橋を後にして笹島駅を出発していく。この向野橋のトラスはなかなかの変わり種だ。元々1899年に京都の保津川橋梁として保津川に架けられ、それを移設したものである。トラスの上には照明塔が鎮座していた。