Nostalgic東海 9号室 昭和の名鉄犬山線
1973年春まで尾北地方扶桑町の実家に住んでいた。名鉄犬山線は日々の通学に乗っていたし、何より少年時代からの思い出深い身近な鉄道でありよく自転車でぶらぶらと出掛けては撮っていた。思いついたアングルや逆光下の撮影等の試行錯誤の場でもあった。そういう意味ではありきたりの日常の写真や習作的な写真がどうしても多くなってしまった。その中でも記録として何とかお見せできるものを選んで展示したい。また、私は蒸機ほど電車には興味が湧かず疎いので、解説に間違いも多々あろうかと思うがお許し願いたい。
『青電 扶桑を行く』 3800系 柏森 1969.11.9
今でこそ名鉄といえば赤電と云われるが、当時は名鉄といえば青電だった。このグリーン塗色はこの辺りでは桑の葉と同化してしまった。日暮れまでの農作業に勤しむ農夫は手を休めて、何を撮っているのかと不思議そうに見ていた。
『稲穂と桑の葉と』 3800系 柏森 1967年11月頃
尾北地方の稲刈りは遅く11月下旬であった。この辺りは扶桑町の名の通り桑の木が多かった。桑の葉はむろん蚕に喰わせるのだ。いまでは養蚕を営む農家もなくなり、宅地化が進んで桑畑はすっかり姿を消してしまった。
3850系 柏森 1969.2.22
2輌編成の3850系が駆けていく。この写真をスキャンしてみて柏森辺りでもオギ原があったことを思い出した。
5500系 柏森 1969.2.22
高性能車5500系にはこのクリーム地に赤帯のツートンカラーが一番似合っていたかもしれない。この頃の犬山線北部ではまだ冬枯れの野っぱらのような風景が広がっていた。
『小さなワフをお供に』 デキ303 柏森 1969.3.21
桑畑の向こうをデキ303の牽く貨物列車が駆けていく。小さな名鉄ワフ50が可愛いらしい。柏森辺りでまだこんなにも萱葺屋根の家があったことに驚かされる。
『たそがれ電車』 3500系 柏森 1969.4.11
黄昏時、シルエットになった養老や鈴鹿の山並みに電車が吸い込まれていくような不思議な感覚にとらわれた。遮るものがなくこんなにも山々が見通せたこの頃が懐かしい。
『青電が行く』 3556+2556 柏森 1969.4.12
3扉車の青電3556と2556が駆けていく。木製の日除けが懐かしい。
その後これらの旧型車もスカーレット色に塗られていった。おそらく赤の名鉄としてコーポレートカラーを打ち出したかったのだろうが、旧型車にスカーレット色はどだい無理があった。
私にとって名鉄の旧型車はいつまでもこの青電なのである。
『ヒゲなしナマズが通る』 2352+832+852 柏森 1969.6.9
間もなく沈もうとする夕日を側面に光らせて850系が走り抜ける。ナマズの愛称で知られるように幼い頃の記憶では前面窓上部に3本のヒゲがあったと思うが、このときはすでにそのヒゲはなくなっていた。
3400系 栄生 1967年頃
名車3400系が栄生駅を出発していく。栄生駅は名古屋本線の駅だが、犬山線内ではあまりよい記録がないのでお許し願いたい。この形式にはピンクとチョコレートのこの塗色が一番似合っていたと私は思う。
3652ほか 名古屋本線西枇杷島 1967
津島行普通電車が西枇杷島駅を出発していく。西枇杷島駅は名古屋本線の駅だが、3650系は犬山線での記録がない。この頃はピンクとチョコレートという好ましいツートンカラーであった。
3800系 柏森 1969.8.12
暑い夏の日。砂利道に転がる石ころも強い日差しに焼かれていた。遮断機のない踏切は珍しくもなかった。
『たかやま号尾北を駆ける』 1612D急行たかやま 柏森 1969.8.12
強い夏の日差しもようやく西に傾いたころ、高山本線乗り入れの名鉄8000系たかやま号が犬山線を駆け抜けて行く。この列車は準急として登場したがすぐに急行に格上げされていた。この頃の柏森辺りはこんなにも森や桑畑があって、高山線内かと見まがうばかりだ。
『小川遊び』 モ801ほか 柏森 1969.11.16
強力800系が吊り掛けモーター音を唸らせて駆け抜ける。小川にいるのはハエかコブナかザリガニか、子供たちが戯れていた。
『刈入れの頃』 デキ302 柏森 1969.11.16
小さなデキ300が何輌もの貨車を連ねてトコトコ走っていく。田んぼでは刈り取ったイネの天日干しが忙しい。この辺りでは稲架がけをしないのだ。
221列車 デキ402 柏森 1970.1.8
デキ400が寂しくない輌数の貨車を牽いてやってきた。いつの頃からか犬山線に現れたこの電機は箱形デッキ付で、デキ300を見慣れた目にはとても格好良く思えた。
220列車 デキ402 柏森 1970.1.11
濃尾平野北部のこの辺りは木曽川の扇状地である。ここの土地は少し掘ると木曽川が氾濫を繰り返した名残である河原の石がごろごろ出てくる。小道の土手に積まれている石はそんな石だ。この犬山線敷設のときの苦労がしのばれる。
『残雪の尾北を行く』 220列車 デキ402 柏森 1970.2.11
2日ほど前に降り積もった雪が残る桑畑の向こうをデキ400が貨物列車を牽いて駆けていく。
黒い引き締まった箱型ボディのデキ400は私のお気に入りだったが、犬山線を走ったのはほんの数箇月の短い期間だったように思う。
『ヒメジョオン咲く野原を行く』 221列車 デキ306 柏森 1970.7.2
私鉄の貨物列車は今では全国でも数えるほどの専用列車しか走っていないが、この頃はまだ各地でこうした車扱混載貨物列車を見かけることができた。この列車は布袋駅から仕立てられていたように思う。
『桑畑の間を駆け抜ける』 5005ほか 柏森 1970.7.29
扶桑町のこの辺りは町名に相応しく桑畑が一面に広がっていた。その中をたまご形のデザインがスマートな5000系が駆け抜ける。背景には尾張富士や本宮山も顔をのぞかせている。
『夕暮れ電車』 2655+3505 柏森 1970.7.29
鎮守の森の西に広がる桑畑の向こうに夏の太陽が落ちていく頃、家路を急ぐ人々を乗せて郊外電車がひた走る。私の少年時代の心象風景そのものだ。
『冬枯れの桑畑の中を』 221列車 デキ305 柏森 1971.1.8
冬場、桑の木は枝を刈り込まれてコブだらけの奇妙な姿になる。そんな桑畑のあいだをデキの牽く貨物列車がトコトコ走る。
『柏森通過』220列車 デキ305 柏森 1971.1.17
デキ305が220列車を牽いて柏森駅を通過していく。カマのすぐ右後方には奇祭石上げ祭りの舞台尾張富士が、さらにその右手には本宮山も顔をのぞかせている。
2554ほか 柏森 1972.1.2
桑畑、芋畑や原っぱの広がっていた沿線にも、1970年代に入ると住宅が建ち始めていた。
『赤い郊外特急』 5508ほか 柏森 1972.1.4
この辺りは水田には適さない土地で畑には散水栓も備えられている。7000系と同じスカーレット色に塗られた5500系の郊外特急が突っ走る。ツートンカラー時代が良かったなと思った。
3554+3832ほか 柏森 1972.1.4
名鉄には珍しい3扉車を先頭にした特急がやってきた。この頃もまだ線路わきの田舎道は未舗装だ。
7028ほか 柏森 1972.1.4
スマートな7000系パノラマカーが尾北地方の田野を駆け抜ける。
『竹藪の陰から』 2834+3834 柏森 1972.1.4
この頃の柏森辺りには雑木林やら竹藪がまだ至る所に残っていた。竹藪の陰からクリーム地に赤帯の3800系2連が現れた。この電車は青電のほうが似合ってたなあと思った。
2762ほか 柏森 1972.1.4
雑木林の横を3730系の普通電車がやってきた。鋼体化車体、高運転台の電車には、新しいけれども何か無機質な印象を受けた。
3785ほか 柏森 1972.1.4
3780系が颯爽と駆けていく。鋼製車体、シールドビーム2灯、屋根上のクーラーと名鉄もずいぶん垢抜けてきたなあと思った。
『流電が行く』 2352+852 柏森 1975.1.3
なまず2連がやってきた。スマートな流線形の筈だったのだが、数々の新幹線車輌が全国を走り回る今、改めて見るととても流線形には見えない。技術革新の速さには驚かされるばかりである。