Nostalgic東北 1号室 羽越本線・陸羽線・左沢線・米坂線
1971年の夏、北陸、東北、関東を1週間かけて回る撮影旅行に出た。羽越本線では貨物列車の編成の長さと頻度の高さに満足したが、C57は思ったよりも減っており時期を逸したようだ。最上川沿いを行く陸羽西線と新庄盆地の陸羽東線ではC58が活躍していた。米坂線は山形らしい景色に古豪キューロクがよく馴染んでいた。左沢線は残念ながら1本しか記録がない。
『羽前椿の昼下がり』 162列車 69677 米坂線羽前椿 1971.8.9
羽前椿駅ではキューロクが静かに煙をくゆらせていた。東北地方といえども照り付ける夏の日差しは強かった。
『北へ急ぐ日本海』 特別急行2001列車日本海 DD51508 羽越本線温海 1971.8.7
温海駅に降り立ってすぐに海岸線を目指して歩いた。ロケハンする間もなく、まだ明けやらぬ日本海を背に「日本海」のヘッドマークを掲げた新鋭DD51は姿を現した。目の前を2基のV12気筒エンジンの唸りも高らかに北へと駆け抜けていった。
829列車 D511031 羽越本線温海 1971.8.7
1971年の8月、東北地方での撮影旅行は羽越本線温海からスタートした。この線では貨物はD51、旅客はC57が牽引してくるものだと思っていたが、いきなりD51の牽く普通列車が現れた。
831列車 D51648 羽越本線温海 1971.8.7
鼠ヶ関、温海辺りは日本海が大きく広がる眺めの良いところだが、山が海に迫っていて民家、羽越本線、国道7号線がひしめき合うように並んでいる。この日2本目の客車列車もシゴナナではなくデコイチが牽いてやってきた。
(註)従前の解説は、先行の829列車の写真が出てきて追加展示したのでそちらに移した。(2019.8.16記)
3570列車 D511001 羽越本線温海 1971.8.7
戦時形トップナンバーD511001の牽く長大編成の貨物列車が入り江にかかる橋梁を渡ってきた。並行する国道7号線は立派に整備されていたが走っている車はまばらだ。
『日本海縦貫線を行く』 1891列車 D51104 羽越本線温海 1971.8.7
さすがに羽越本線は日本海縦貫の幹線だ。次々とデコイチが長大編成を従えて姿を現した。
1892列車 D51135 羽越本線温海 1971.8.7
日本海を右手に上り貨物列車が通り過ぎる。羽越本線では珍しい長工デフ付きのデコイチだった。
(2019.9.27機番追記)
『海水浴客を乗せて』 9125列車かっぱ号 D511133 羽越本線温海 1971.8.7
デコイチの牽く客車列車がやってきた。この列車は上ノ山発鼠ヶ関行海水浴臨かっぱ号である。この齣に限らず線路に並行する国道7号線には見事なまでに車が走っていない。この時代、海水浴の足も汽車がメインだったのだ。
891列車 D51512 羽越本線温海 1971.8.7
891列車の頃から厚い雲が切れ、夏の日差しがデコイチにも降り注いだ。
891列車(その2) D51512 羽越本線温海 1971.8.7
今のコンテナ列車はコキにコンテナが載っていない、いわゆる空コキだと何とも締まりがない。
この時代の有蓋車、無蓋車は荷の量には関係なく箱そのものはあるので、見栄えはよい。上から見下ろすとこの無蓋車は空だった。荷がないときはこんな風にして適宜常備駅へ送り返されていくのである。
『温海の荒磯を行く』 833列車 D511002 羽越本線温海 1971.8.7
夏ではあったが日本海の波は高かった。波しぶきの上がる向こうをD51の牽く普通列車が行く。幹線では普通列車といえども長編成だ。荷物車では新聞輸送も重要な役割だった。
『日本海の磯辺を行く』 961列車 D51513 羽越本線温海 1971.8.7
日本海縦貫線は急勾配がないので蒸機時代も長大編成の貨物列車が次々とやってきてあくびをする暇もなかった。
『日本海を右手に』 荷2041列車 C5719 羽越本線温海 1971.8.7
この日は朝方は雲が厚かったが、昼前には陽が差してガンガン照り付けてきた。フィルム交換をしようと、あろうことか巻き戻しをしないまま裏蓋を開けてしまった。暑さの中で呆然自失。今となっては忘れがたい思い出となった。
本来ボツ画像だが、羽越本線のシゴナナは数えるほどしか走っていなかったので、補正をして公開することにした。ただ、感光してしまった部分をこれ以上復元することはできなかった。
『日本海に沿って』 893列車 D51101 羽越本線温海 1971.8.7
日本海沿いにデコイチの牽く貨物列車が北上していく。ここを走るデコイチは皆、テンダーに大きな重油タンクを載せていた。第1次量産試作形の101号機のテンダー台車は、まだ戦時色のないスマートな一体鋳鋼製だ。
小岩川駅に進入する834列車 D51932 羽越本線小岩川 1971.8.7
小岩川駅に鼠ヶ関まで乗車する834列車が滑り込んできた。C57の牽く列車に乗りたかったがこの列車もデコイチの牽引だった。
821列車 C57167 羽越本線鼠ヶ関 1971.8.7
東北撮影旅行で撮影できた数少ないC57牽引列車の一つだ。できることなら海岸線を行く姿を記録したかった。
『鼠ヶ関を発つ』 3875列車 D51443,D511133 羽越本線鼠ヶ関 1971.8.7
奥羽三大古関の地、鼠ヶ関。大きな駅でいくつもの列車が入線していた。夏の海水浴シーズンには鼠ヶ関行の季節列車「かっぱ号」が運行されていた。この列車以外にも東北地方では「かっぱ号」という海水浴臨を何本も見かけた。なぜ「かっぱ」なのか、かっぱとは元来、海ではなく川にいるものではないのか。このネーミングは未だもって謎だ。
旋回窓 D511133[酒] 酒田機関区 1971.8.7
積雪地域の機関車に取り付けられる旋回窓。内側から見ると本当に視界は狭い。機関車内部は許可を得て撮影している。
逆転機ハンドル D511133[酒] 酒田機関区 1971.8.7
蒸機の前進後退とカットオフを司る逆転機ハンドル。機関車内部は許可を得て撮影している。
『西袋駅の列車交換』 836列車 D5175 羽越本線西袋 1971.8.7
西袋駅で旅客列車同士が交換する。やってきたのはナメクジD5175の牽く836列車。こちらは上ノ山行き8126列車、海水浴臨かっぱ号だ。
『海水浴へ』 海水浴臨9125列車かっぱ号 C58202 陸羽西線津谷 1971.8.8
出穂したばかりの水田の向こうをシゴハチの牽く客車列車が駆けていく。車内は家族連れで満員のようだ。この列車は上ノ山発鼠ヶ関行臨時列車かっぱ号。山形の山から海へと海水浴客を乗せていくところだ。
『最上の流れに沿って』 165列車 C58401 陸羽西線古口 1971.8.8
「五月雨を集めて早し最上川」の句で有名な最上川を右手にシゴハチが快走する。この川の風景にシゴハチは良く似合っていた。山の上から俯瞰したかったが、引きが取れそうなポイントが見つからなかった。
『花びらの舞う最上川をバックに』 7166列車 C58163 陸羽西線古口 1971.8.8
この写真をスキャンしたとき余りにもホコリが多いのでげんなりした。でもよく見ると流れている。どうやら花びらのようだ。季節は夏なので桜ではないだろうが、いったい何の花びらが舞っていたんだろうか。
『雪国の守護神』 ロキ624 新庄機関区 1971.8.8
初めて間近で見るロータリー車は奇怪かつ豪快なスタイルをしていた。なお、機関区内は許可を得て撮影している。
『草いきれの中を』 167列車 C58163 陸羽西線津谷 1971.8.8
草いきれをかき分けるようにしてシゴハチの牽く貨物列車が登ってきた。デコイチを一回り小さくしたようなシゴハチはローカル線の至る所で見かけたものだ。この罐にはこんな山間いの風景が似つかわしい。
(2020.5.8音声公開。視聴にはイヤホン等外部スピーカーへの接続を推奨。)
『盛夏の陸羽西線を行く』 168列車 C58402 陸羽西線津谷 1971.8.8
陸羽西線がまさに新庄盆地に入ろうとする津谷の緩勾配をシゴハチが二軸貨車を連ねて登ってきた。
『新庄区の罐たち その1』 C58402 新庄機関区 1971.8.8
昼間に陸羽西線の山間で会いまみえたC58402が新庄区の機関庫で休んでいた。戦後形のこのシゴハチは大型で腰高の船底形テンダーを持ち、私が今まで見て来たシゴハチとはがらりと違うフォルムで別形式に見えた。
『新庄区の罐たち その2』 C58363,C58402 新庄機関区 1971.8.8
今では「パレオエクスプレス」牽引機としておなじみのC58363。今は秩父鉄道関係者の熱意によりすっかり磨き込まれて黒光りした美しさだが、この頃は生え抜きの東北罐らしい素朴な美しさだと思う。
『新庄盆地を行く』 766列車 C58125 陸羽東線南新庄 1971.8.8
真夏だというのに真っ白い煙をたなびかせてシゴハチが駆け抜ける。画になって嬉しかったがこの煙は安全弁から吹き出している。安全弁を吹かすのは石炭と水の無駄遣いとなり減点なのだ。このときの機関助士は肩身の狭い思いをしていたに違いない。
『朝の通勤列車を牽いて』1324列車 C11372 左沢線山辺 1971.8.9
この頃の左沢線では客車列車は朝晩1往復しかなかった。朝の山形行き通勤列車を牽いてC11が懸命に築堤を登る。(2019.12.25付題、音声公開)
『雪の日も夏の日も』 162列車 69677 米坂線羽前椿 1971.8.9
この頃の米坂線は4往復の定期貨物列車が走っていたと思う。嵐の日も雪の日も、そして暑い夏の日もキューロクは黙々と貨物列車を引っ張って幾度となく宇津峠を越えていったことだろう。
『羽前椿の里にて』 163列車 79606 1971.8.9
羽前椿は米沢盆地の西端にある。次の手ノ子から先は宇津峠越えの難所だ。ならば手ノ子へ行けばよさそうなものだが、有名地だし各駅停車しか止まらず乗換の時間がもったいない。急行列車を下りて里山の風情のある羽前椿を撮影地とした。
『宇津峠を越えて』 164列車 59634 米坂線羽前椿 1971.8.9
宇津峠を越えてきたキューロクが絶気でのんびりと転がってきた。この59634はその後遠く九州の後藤寺区に転属し、今では九州鉄道記念館で大切に保存されていると聞き嬉しい限りだ。
『照りつける陽射しの中を』 7165列車 49681 米坂線羽前松岡 1971.8.9
東北とはいえ夏の日差しは強い。この日は荷がなかったようで49681が独り山を下ってきた。この罐はこのおよそ半年後に米坂線さよなら列車を牽いたのち地元坂町区で生涯を終えた。
『美林を行く』 166列車 79607 米坂線羽前松岡 1971.8.9
美林に囲まれたガーダー橋をキューロクの牽く貨物列車がゆっくりと渡ってきた。
『山形の山間いを行く』 167列車 69677 米坂線羽前松岡 1971.8.9
米坂線のキューロクは客貨にわたり活躍していた。警戒色の塗られていないキューロクの姿が頼もしかった。
『侘しき単機』 168列車 79606 羽前松岡 1971.8.9
夏の夕暮れ、荷のないキューロクが一人侘しく峠道を登っていった。
『キューロクの客車列車』 129列車 59634 米坂線羽前松岡 1971.8.9
ここ米坂線はキューロクの客車列車が見られる数少ない線区だった。59634は甲高く澄んだ3室汽笛を一声吹鳴し、乾いたブラスト音を響かせながら夕暮れ迫る山間いの駅を発車して行った。
(2020.5.1音声公開。視聴にはイヤホン等外部スピーカーへの接続を推奨。)