Nostalgic関東 1号室 東北本線・中央東線・関東近郊
1971年の東北撮影旅行の最終日はEF57と新設された「あけぼの」を見たくて東北本線直流区間に降り立った。中央東線は撮影旅行ではなく所用の帰りに立ち寄ったため、記録もなく最初はどこかも分からなかったが、あるサイトでのご指摘により判明した国分寺付近の写真である。塩尻へは中央西線北部と合わせて訪れた。そのほかは中学生の頃はいつも首にカメラをぶら下げていたための産物だ。
『雪の中央東線』 527列車 EF131 塩尻 1970.12.31
1970年の大晦日、塩尻もこの辺りとしては大雪だった。ナンバープレートも半分着雪して読めないが、前端梁の形を雪が浮き出たせてくれたのでこのカマがEF13だと分かる。実はこれはトップナンバーだった。
『上野駅にて』 EF574 1969.5
1969年5月の上野駅地平ホーム。バンビのような愛らしい顔つきに不釣り合いな大きなツノを生やしたようなフォルムのEF57に見とれた。
EF8021 常磐線日暮里-上野 1969.5
いつも首からカメラをぶら下げて列車に乗っていた。赤いカマが来たというのでシャッターを切っただけで何列車かも分からない。EF80牽引なので常磐線の列車であろう。後ろの駅が鶯谷であることは今も面影があり間違いなかろう。
『旅客機の定宿』 田端機関区 1969.5
列車は機関車が居並ぶところへ差し掛かった。カマの数に目を見張った。上越形のEF58と宇都宮のEF57群だ。EF571の姿も見える。ここは今も旅客機の定宿だが、機関車の機種と数は様変わりしてしまった。
『両毛線のEF12』 EF1213 両毛線小山 1969.5
小山ではEF12が機回しをしていた。関東では、すでに名古屋近郊ではほとんど姿を消していたデッキ付電機が種類も数も多いのに驚かされた。このEF12は両毛線の貨物運用に就いていたところだろう。
野木駅を通過するEF1559 東北本線野木 1971.8.14
1971年の東北撮影旅行の最終日、ブルートレインあけぼのを撮影すべく急行おが2号から小山で降り立った。小山から2駅先の野木を撮影地に選んだ。EF15がタンカー群を率いて通過して行く。
EF651006 東北本線野木 1971.8.14
EF65PF1次車の1006号機がフレートライナーを牽き東北本線を突っ走る。
EF1581 東北本線野木 1971.8.14
大幹線、東北本線の貨物列車はどれも長かった。EF15が長大な編成を牽き吊り掛け音をうならせてやってきた。
『行き交うEF15』 EF15 東北本線野木 1971.8.14
右から左からやってくる東北本線の貨物列車の本数は令和の今より多かったかも知れない。
そのほとんどがEF15の牽引で、さしづめ現代の東海道山陽筋の桃太郎の風情だった。(2019.6.28記)
『旧形デッキ付ガマ関東を行く』 EF1570 東北本線野木 1971.8.14
関東ではデッキ付電機の撮影も楽しみの一つだった。というのも、地元の東海道線中西部ではEF60を嚆矢とする新形電機の増備により既にデッキ付電機はほとんど姿を消していたからである。それにしても次々とやってくるEF15の多さには驚いた。まるで一時代前の東海道筋にタイムスリップしたかのようだった。事実、この頃関東には東海道山陽筋から転属してきたデッキ付ガマも数多くいたのだった。
『上野へ急ぐあけぼの』 特別急行1002列車 EF651039 東北本線野木 1971.8.14
特急あけぼのはEF65PFタイプが初めて牽引するブルートレインだった。この頃東海道本線ではまだEF65500Pがブルトレを牽引しておりPFは貨物しか牽いていない。特急あけぼのは先行する急行おがを新庄から大宮までノンストップで猛追してきた。もう少し開けたところでサイドから引いて撮影したかったが、時間切れ。目の前を轟音を立てて走り去った。
『パンタグラフも勇ましく』 121列車 EF577 東北本線野木 1971.8.14
東北本線であけぼのと並ぶメインターゲットがEF57だった。グッと前方に押し出されたパンタグラフが厳つい独特のフォルムに憧れていた。牡鹿の角のようなパンタグラフを高々と上げてEF577が走り抜けて行く。このカマは宇都宮市で保存展示されている。
2021Mはつかり1号,8406列車八甲田・おが52号 EF58 野木 1971.8.14
583系特急はつかりとEF58牽引急行おががすれ違う。このおが52号は季節列車なので定期おがとは異なり荷物車を連結していない。
急行9123列車あづま・ばんだい51号 EF5713 東北本線野木 1971.8.14
稲穂も結構首を垂れ始めた水田の向こうに季節急行を牽いて現れたのはEF57だった。車体より前に飛び出したパンタグラフがこの電機らしい。夏草は注意深く見ないと背景に溶け込んでいて伸びていないように見える。これは典型的な失敗例。せっかくこのカマの特徴である2軸の先台車が夏草に隠れてしまった。
『東北本線を行くEF58』 122列車 EF58153 東北本線野木 1971.8.14
福島発上野行各駅停車を牽いてやってきたのはゴハチだった。この頃この辺りでは多くの撮り鉄の狙いはEF57だったので、いささかがっかりというところだ。
それでもこの153号機の上越仕込みのつらら切りや電気暖房表示灯は東海道山陽筋では見慣れないもので東北本線に来た甲斐があった。
EF651030 東北本線野木 1971.8.14
野木の田んぼの向こうをEF65PFがずらりとワムを連ねて進んでいく。この頃この区間ではEF66の運用はまだなくPFが最強の機関車だった。
EF10 東北本線 1973年
就職活動で関東に来たときに、例によって列車の車内から対向列車を撮影した。このときの記録が見つからないが東北本線内であろう。レサやらホキやらを混成した車扱貨物の先頭に立ってきたのは3次形のEF10だった。
東北本線を行くEF1019 1973年
就職活動より撮影活動のほうが熱心とみえて、この写真も就職活動で移動中の車内から貨物列車を追い抜きざまに撮影している。関東は中京地区ではほとんど見られなくなっていたデッキ付旧型電機の宝庫で、電車に乗っても眠っている暇はなかったのだ。EF10の中ではこの2次形が丸みのあるボディで美しいと思う。車掌車に書かれている篆書(てんしょ)体のような独特の鉄道文字が懐かしい。
EF1512 中央本線国分寺 1977.2
中央本線をEF15の牽く短編成の貨物列車が上ってきた。この写真を最初にスキャンしたときは、ここがどこだか、そもそも何の用でここに来たのかも分からなかった。
EF6432 中央本線国分寺 1977.2
EF64基本番台の32号機がタンカー列車を牽いていく。この写真をあるサイトに投稿したところ、嬉しいことにこれは国分寺花沢橋からの光景との指摘があった。
EF15 中央本線国分寺 1977.2
この頃、中京地区ではほとんど姿を消していたデッキ付電機が関東では数も機種も多く活躍していた。EF15が青タキで組成されたタンカー列車を牽いてやってきた。
『武蔵野にて』 EF15136 中央本線西国分寺 1977.2
国分寺から西へと歩くうちに隣駅西国分寺が見えてきた。辺りは武蔵野だ。やってきたEF15136は原形窓の美しい姿だった。
『オレンジ色の電車』 101系 中央本線西国分寺 1977.2
この区間は当然国電も走っていた。電車にはあまり興味が湧かなかったが、オレンジ色が中央本線ということは知っていた。このネガは褪色が進んでしまって本来の色が再現できなかった。
EF1326 中央本線国分寺 1977.2
本当にデッキ付ガマが多い。またEF15かと思ったが前端梁の形が違う。タンカー列車を牽いてやってきたのはEF13だ。軌道上からの撮影は危険と見えるかも知れないが、左端の線路は列車が走っていなかった。後で分かったことだが、これは旧下河原線で中央鉄道学園への引き込み線として利用されていた時期があったようだ。
『塩尻の雪の大晦日』 442列車 EF1312 中央本線塩尻 1970.12.31
雪の大晦日、塩尻駅をEF13が甲府行各駅停車を牽いて出発していく。もうもうと黒煙を上げているのは蒸機ではない。暖房装置を持たないEF13は暖房車を連結しているのだ。