Nostalgic信越 1号室 中央西線北部(倉本以北)
中央西線北部の写真を見返してみると何だかいつもお天気が悪い。記録を調べてみたらすべて年末の撮影だ。年末といえばスキー臨時急行が運行されるので、それを見たさに鳥居峠へ毎年通っていたことを思い出した。
『蒸気をまとって』 691列車 D51209 藪原 1971.12.26
中央西線はトンネルの連続だ。冬場、デコイチ牽引の列車は蒸気のベールをまとってトンネルから飛び出してくる。
『雪を載せて』826列車 DD51 上松 1972.12.24
この日の上り列車には大幅な遅れがあった。北の方は大雪なのだろう。DD51牽引の客車列車は屋根上に雪を載せて現れた。
『木曾路を登る その1』 9735列車 D51 倉本-上松 1972.12.24
『木曾路を登る その2』 9735列車 D51 倉本-上松 1972.12.24
木曾谷の倉本-上松間は中央西線最大の難所である。そこには20‰の連続急勾配が待ち受ける。臨時急行現車10輌、定数いっぱいを担わされた山男D51は、リズミカルなブラストを谷いっぱいに延々と響かせながら力強く走り抜けて行った。真っ白な排煙から乗務員の腕の良さがうかがえる。
『木曾路を登る その3』 9735列車 D51 上松 1972.12.24
デコイチは小野ノ滝に差し掛かった。名勝寝覚の床はもうすぐだ。
『雪の上松』 D51827 上松 1970.12.26
上松は赤沢森林鉄道で知られる林業の町だ。ちらつく雪の中を登坂を続けるデコイチの排気が白い。
『雪の木曾谷を行く』 8671列車 D51849 上松 1970.12.26
白煙濛々とデコイチが車扱混載貨物を牽いてやってきた。降りしきる雪と排煙で木曾谷の景色も覆い隠される。
『雪の中央西線』 829列車 D51279 上松 1970.12.26
降雪が強くなり始めた。デコイチが客車列車を牽いて力強いブラストとともに登ってきた。雪と給水温め器排蒸気で列車の姿はおぼろげだ。
『雪の降る街を』 地貨4652列車 D51898…921 上松 1970.12.26
雪国ではない木曾谷には珍しい大雪だった。積み上げられた木材も見る見るうちに白くなり、この降りでは後補機の姿も見えそうにない…。思いあぐねるうちに現れたデコイチは降りしきる雪の中、無言で足早に駆け下って行った。
『上松の小兵』 C12 上松 1972.12.24
上松では小さなタンク機関車C12が入換作業に励んでいた。
『小雪舞う木曽福島にて』 C12199 1970.12.26
木曾谷は大雪が積もることはまずないが、冬の寒さは厳しく、たいがい小雪がちらついていた気がする。
開通当初からの機関庫の前でC12が入換にいそしんでいた。
691列車 D51898 原野 1969.12.25
凍り付いた田んぼの向こうを準戦時形のD51898号機が登坂していく。サイドから見れば正にカマボコ形のドームである。60年代終わり、木曾谷のデコイチに戦時形はおらず、準戦時形もカマボコドームのままのものは珍しかった。
669列車 D51769+D51125 原野 1969.12.25
原野辺りでは木曽川はずいぶんと細くなり、谷は幾分広くなだらかに感じられる。緩勾配をD51重連が息を合わせて登ってきた。白煙が晴れ渡った空にまぶしく映える。
『木曾谷原野の夕暮れ』 D51827 原野 1969.12.25
木曾谷原野の夕暮れどき、デコイチの吐き出す白煙にできた陰がうら寂しい。
『斜陽の中を』 829列車 D51274 原野 1969.12.25
木曾谷の冬、日が西に傾くとすぐに山の影が谷間を支配し始める。まだ消え残った日差しを編成後部に浴びながら、デコイチの牽く長野行各駅停車が原野駅に滑り込んできた。
『木曾川源流沿いに登る』 663列車 D51 藪原 1970.12.26
中央西線も藪原近くまで登ってくると分水嶺鳥居峠はすぐそこ。木曽川も源流域に入る。冬の早朝、凛とした空気の中駆け抜けて行くデコイチの姿には眩しささえ感じた。
『木曾谷一人旅』8670列車 D51 藪原 1970.12.26
先ほどまで顔を出していた太陽が雲に隠れると小雪がちらつき始めた。木曾谷北部の天気は気まぐれである。無彩色の世界の中、単機のデコイチが独り寂しく駆け下って行った。
『雪晴れの野を行く』 825列車 D51155 藪原 1970.12.26
前夜の雪で雪原となった木曾谷をデコイチの牽く825列車がやってきた。この長野行各駅停車は名古屋始発列車で、普段中央西線へ出掛けるときは乗車するのが常なのでなかなか撮影の機会はなかった。
このときは前夜に宿をとり漸くその姿を捉えることができた。私は冬の中央西線ではあまり陽ざしに恵まれなかったが、この日のデコイチは雪晴れのもと輝いて見えた。
『木曾谷夢幻』 665列車 D51 藪原 1971.12.26
冬の木曾川源流域は底冷えがしてガスっていたりする。ひたすら鳥居峠を目指して登って行くデコイチは自らの白煙に包まれて、それはもうモノトーンの夢幻の世界だ。
『白煙たなびくデコイチ重連』 667列車 D51549+775 藪原 1971.12.26
未明から立ち込めていたガスがようやく晴れようとするころ、デコイチ重連の667列車がその長大な姿を現した。2機のデコイチが鳥居峠に向けてありったけの力を振り絞って疾駆した後には、彼らの吐き出した白煙が長々とたなびきガスの中に溶け込んでいった。
『D51重連の咆哮』 667列車 D51698+549 藪原 1970.12.26
木曾谷を行くデコイチは重油を焚かない。中には重油併燃装置を付けている罐もいたがそれらは他線区からの転属機だ。このハードな山岳路線を重油の力を借りず石炭だけで走り通した中津川区、木曽福島区の罐たちと乗務員たちを誇りに思う。
『D51重連の雄叫び』 667列車 D51698+D51549 藪原 1970.12.26
667列車は木曽福島-塩尻間でデコイチ重連となる。前機は回送ではなく前補機である。正真正銘の重連運転だ。
829列車 D51192 藪原 1970.12.31
デコイチの牽く長野行客車列車がやってきた。残念なことにこの各駅列車は藪原駅停車のため木曽川橋梁に差し掛かったところで絶気となってしまった。盛大に上がっていたエグゾーストは氷点下の空気に包まれて行路上に浮かんでいた。
藪原駅を通過する661列車 D51898 1970.12.26
この先には鳥居峠が待ち受ける。長編成を単独で率いるデコイチは藪原駅を力行のまま通過していく。
『鳥居峠への力走』 665列車 D51775 藪原 1971.12.25
長工式集煙装置を装備したD51775が張り裂けんばかりのブラストを響かせて力行してくる。トンネルではないので集煙装置のフタが開放されているのが見える。
『エグゾースト渦巻いて』 691列車 D51522 藪原 1971.12.25
中央西線の貨物列車は重連運用もあったが、多くはD51が単独で牽引してくる。霙降るこんな日は荷はずしりと重い。排煙が谷中に渦巻いて、懸命に登坂してくる様は正にソウルフルだ。
(2020.12.25追記、音声公開。視聴にはイヤホン、TVほかの外部スピーカーへの接続を推奨)
『エグゾースト渦巻いて その2』 691列車 D51522 藪原 1971.12.25
中津川を発っておよそ70km。ひたすら勾配を登り続けてきたデコイチに最後の難関鳥居峠越えの20‰が立ち塞がる。そぼ降る霙に足を取られながらも、残る力を振り絞って懸命に峠を越えて行った。
(2020.12.25音声公開。視聴にはイヤホン、TVほかの外部スピーカーへの接続を推奨)
『鳥居峠めざして』 6651列車 D51200 藪原 1971.12.26
中津川区のキリ番D51200が鳥居峠に挑む。真っ白な白煙は石炭の燃焼がよい証だ。この200号機は調子がいい罐だったと聞く。今度復活を果たし本線走行してくれるのが嬉しい。
『鳥居峠越えの激闘』663列車 D51921+D51522 藪原 1971.12.25
藪原-奈良井間の分水嶺鳥居峠は中央西線随一のハイライトである。定数いっぱいを担わされた2機のD51が歩調を合わせドッドッドッド、ドッドッドッド必死の形相で20‰を登って来る。と、突如ダダダダーンという大音響が谷中にこだまする。空転だ。こんなミゾレそぼ降るような日は空転との闘い。まさに鳥居峠越えの激闘である。
『ソウルフルD51ダブル』 667列車 D51265+402 藪原 1971.12.25
この年の歳末、藪原では積雪はなかったが、辺りは張りつめた冷たさに包まれていた。
長大編成が切通しから姿を現した。デコイチ重連の猛烈なブラストと猛々しいエグゾーストが谷間を支配し、たたずむ者は魂を揺さぶられる。
(2020.2.14音声公開。視聴には外部スピーカー接続を推奨。)
『鳥居峠に挑むデコイチ重連急行 その1』 臨急客9825列車 D51192+D51903 藪原1971.12.25
2機のデコイチが息を合わせてサミットを目指す。現車12輌の長大編成だがさすがに重連、ハイピッチで登ってくる。
(2020.10.23音声公開。視聴にはイヤホン、TVほかの外部スピーカーへの接続を推奨)
『鳥居峠に挑むデコイチ重連急行 その2』 臨急客9825列車 D51192+903 藪原 1971.12.25
臨時急行を牽くデコイチ重連が木曾谷らしい木立に囲まれて力強く20‰を駆け上がる。
次位のD51903は稲一区時代は同区には珍しい準戦時形カマボコドームの冴えない印象の罐だったが、このときは集煙装置、スノープラウ、テンダーの増炭囲いなど、すっかり木曾谷仕様のたくましい山男に変身していた。
(2020.10.23音声公開。視聴にはイヤホン、TVほかの外部スピーカーへの接続を推奨)
『最後の力闘』683列車 D51769 藪原 1970.12.26
凍てついた峠道を単機牽引のデコイチは懸命に登坂してきた。サミットはもうすぐそこ。木曾路に入ってから登り続けた鳥居峠越えの苦闘もあと一息だ。
『サミットへ』 683列車 D51769 藪原 1970.12.26
サミットの鳥居トンネルにたどり着いたデコイチは、勝どきの如く汽笛一声吹鳴しトンネルの中へと突入していく。この1年ほど前に複線の新線が完成しているが、右手に残る旧線ではさらに峠道は続き、隧道口の手前には300Rの急カーブが待ち受けていた。
『激闘の後』654列車 D51279+C58 藪原 1970.12.26
鳥居トンネルを出たデコイチが峠を下ってきた。既に絶気なれども燃え残りの排煙が先ほどまでの激闘を物語る。一見デコイチ重連だが次位はやや小ぶりでシゴハチである。おそらく長野工場から遠江二俣区へ回送されるところだろう。
『サミットを越えて』 694列車 D51125 藪原 1971.12.25
サミットの鳥居トンネルをデコイチが抜け出て来た。既に絶気ながら峠越えの余韻の煙が上がっている。煙の向こうには見えているのは旧線である。
『夜明けの力闘』 6654列車 D51707 木曽平沢 1969.12.25
鳥居峠の北に位置する木曽平沢の冬の早朝、足元から底冷えがして空気も動かなかった。そのしじまを破ってD51707が長大編成を率いて姿を現した。
この707号機は、木曾谷では見慣れない格好をしている。旋回窓、重油併燃装置そして口の開いていない松任式集煙装置。これらは北陸線仕様だ。事実、このカマは糸魚川区から転属してきたばかりだった。
『木曾谷を下る』 8683列車 D51921 木曽平沢 1969.12.25
分水嶺鳥居峠を越えたデコイチは、かなりのスピードで駆け下りてくる。この鉄橋が架かっている川はもう木曽川ではなく奈良井川だ。
『デコイチ重連木曾谷を行く』 826列車 D51274+279 木曽平沢 1969.12.25
デコイチ重連が鳥居峠への勾配を濛々たる白煙を吹き上げながら登ってきた。各駅停車といえども長編成の先頭に立つデコイチ重連は圧倒的な迫力だった。
661列車 D51776 木曽平沢 1969.12.25
杉か檜か見分けられないが、木曾の美林をバックにデコイチが駆け下りてくる。
この776号機は777号機の一つ若番だが出自は異なる。この罐は旋回窓、前照灯ツララ切り、重油併燃装置などの雪国仕様であり糸魚川区からの転属組だ。
『雪原の力走』 654列車 D51402 塩尻 1970.12.31
雪の降り積もった桔梗が原をデコイチが行く。白と黒だけの世界にブラスト音が吸い込まれていく。
『凍てつく桔梗ヶ原を行く』 826列車 D51348+D51192 塩尻 1970.12.31
葡萄畑も雪で真っ白な桔梗ヶ原をデコイチ重連の客車列車がやってきた。罐のキャブもテンダーも凍てついてツララが垂れ下がっていた。
『雪中行路』 661列車 D51707 洗馬 1970.12.31
この年の大晦日はこの地方としては大雪となった。絶気のデコイチは音もなく近づいてきた。新雪というのは音を吸い取ってしまうのだ。
『雪の大晦日』 694列車 D51501 洗馬 1970.12.31
大晦日、雪は断続的に降り続いていた。午前中というのに薄暗い。デコイチは雪の積もった貨車を率いて中山道に並行する鉄路を登って行った。
『雪の洗馬を行く』 825列車 D51827 洗馬 1970.12.31
雪原となり静まり返った桔梗ヶ原を長野行各駅停車を牽くデコイチが無言で走り去る。
『凍てつく大晦日』 667列車 D51200+D51787 洗馬 1970.12.31
1970年の大晦日、桔梗が原一帯は雪原となっていた。雪の鳥居峠を越えてきたデコイチ重連の運用終点駅塩尻までは後一息だ。200号機の太字のナンバーが力強い。