Nostalgic北陸 1号室 北陸本線
交流電化の北陸本線と直流電化の東海道本線のつなぎ区間である米原-田村間は、かつてE10、無煙化後はDD50、DE10が運用されたが、無煙化前はD50とD51が運用されており1968年9月末まで走っていた。無煙化直前の蒸機の姿と北陸本線各地での赤い交流機およびローズピンクのEF81の初期の姿をご覧いただきたい。
『ドレインを吹き上げて』 D50249 北陸本線米原 1968.1
初めて見る大正生まれのD50の優美な姿に目を奪われた。
『兄弟重連』 D51501+D50 北陸本線米原 1968.1
凸一と凸丸の重連だ。ピンボケのこの写真をボツにしなかったのはこのD51501とはこの後、中央西線で再会を果たしたからだ。この除煙板に特徴があるがこれは門鉄デフではない。長工デフである。長工式集煙装置とともに長野工場整備罐のトレードマークだ。
『白ヒゲ』 D51785 米原機関区 1968.1
私が中央西線のデコイチに相まみえる前のことである。米原区の給炭塔には見たことのない粋な出で立ちのデコイチがいた。一目でその精悍なフォルムに魅了された。長工式集煙装置、重油併燃装置に白線入りランボードそして前端梁の白ヒゲ。後に知ったことだが、これらは姨捨越え、信越国境越えで勇名を馳せた長野区罐の証である。この785号機は長野区時代の出で立ちのまま米原区に転属してきていたのだ。隣りに足回りだけを覗かせているのはデコマルだ。
『居並ぶデコマルたち』 D50249,D50300 米原機関区 1968.1
デコマルの居並ぶ雪の米原機関区。デコマルを初めて目の当たりにする身には夢のような光景だった。
『米原区のキリ番デコマル』 D50300 米原機関区 1968.1
米原区のキリ番凸丸300号機は継ぎ足しのない化粧煙突をはじめ、随所に大正罐らしい優美さを保ったデコマルだった。ナンバープレートは美しい緑色をしていた。初めてデコマルを見たこのときの印象は今も鮮烈に私の心に残っている。なお、ナンバープレートは今、京都鉄道博物館本館1階の壁面に展示されている。(2018.4.13,2024.2.16追記)
『米原区の扇状庫』 米原機関区 1968.1
米原機関区の扇状庫にはデコマルとデコイチが収まっていた。かつては東海道本線を走るC59やD52を擁していた大機関区の扇状庫もこの頃はごく一部しか使用していない有様だった。
『雪化粧』 D50201 米原機関区 1968.1
デコマルはこの頃もう中京地区からは去っていた。ここ米原で東海道本線、北陸本線の異種電化方式のつなぎ役を担っていた。このD50201は稲一区から米原区に転じてつなぎ役稼業に従事していたが、このとき第1種休車に指定されていた。冷え切った罐に降り積もった雪を溶かすことなくこの年の3月に廃車となり永眠した。
『旅路の果て』DD501+4 米原機関区 1975.5.28
1975年5月、米原機関区の転車台周りには朱色とグレーのツートンカラーの機関車が多数留め置かれていた。我が国幹線用ディーゼル機関車の草分けDD50である。ナンバーはすでにペイント描きとなっている。北陸本線電化により米原-田村間の交直つなぎ区間運用に就いていたが、この年のダイヤ改正から後方に見えるDE10にバトンを渡して休車となったのである。DD50はその後全機ひっそりと廃車解体されていった。世代交代のたびに繰り返される光景だが、何度見ても追われる者の末期は侘しく切ないものだ。
急行503列車つるぎ ED708 北陸本線津幡 1970.8.4
津幡駅を出た急行つるぎを牽いてED70が加速していく。この頃すでに強力交直流機EF81が登場しておりED70は小運転貨物仕業に追いやられていたかと云うとそうではない。現車12輌もの急行つるぎの先頭に立つ姿は矍鑠たるものだった。実はこの機関車こう見えてC62並みの出力がある。電気機関車とはげにも力持ちなのだ。
急行603列車越前 EF7066 北陸本線津幡 1970.8.4
1970年の夏、北陸へ撮影旅行に出掛けた。主な狙いはローカル各線の蒸機だ。七尾線は津幡から分岐しているのだが、ここで途中下車した。ここの朝は大阪発の下りと上野発の下りという逆方向の夜行列車が行き交うゴールデンタイムがあり見逃す手はないのだ。EF7066が牽いてきたのは急行越前福井行。前半に寝台車やグリーン車を連結する優等列車だ。
臨時貨物列車 EF7015 北陸本線津幡 1970.8.4
EF70 1次車の15号機が長大編成の貨物列車を牽いて津幡駅を通過して行く。大きな白熱灯1灯が1次車のトレードマークだ。
急行8601列車白山51号 EF8128 北陸本線津幡 1970.8.4
新鋭EF81が季節急行白山51号を牽引してきた。この列車は季節列車だけに旧客を集めて編成されていた。
EF81を初めて見たときは、前面窓センターピラーが太く車体長も長くてすごく大柄な機関車という印象があった。
『悲劇の機関車EF7062』 北陸本線津幡 1970.8.4
EF70が貨物列車を牽いてやってきた。何の変哲もない写真だが実はこのEF7062号機は悲劇の機関車である。この2年余りのち、あの北陸トンネル火災事故は起こった。そのときの急行きたぐにの牽引機がこの62号機だ。この機関車自体は生き延びたが、多くの方が命を落とす大惨事であった。改めてご冥福をお祈りする。
『いつか来た道』 233列車 ED709 北陸本線大聖寺 1970.8.4
鎮守の森の横をED70が旧客を牽いて駆け抜けて行く。森と線路の間には今は見られなくなったダートの道があった。いつか歩いたことがあるような不思議な感覚に包まれた。
『万博臨時急行』 9502列車立山71号 EF701002 北陸本線大聖寺 1970.8.4
EF701002号機が新登場の12系で編成された季節急行立山71号を牽いて駆け抜ける。そういえば12系は大阪でこの年開催された万博の輸送特需に対応すべく開発されたのだった。
列車番号、列車名を訂正しました。(2018.8.31修正)
『牛ノ谷峠を越えて』 EF7058 大聖寺 1970.8.4
EF70の牽く車扱混載貨物列車が牛ノ谷峠を越えて駆け下ってきた。直流機と違い交流機は1000番台を除き旅客用、貨物用という区別がなく、当時EF70は北陸本線の主力機として客貨にわたり運用されていた。
『ループトンネルを飛び出す急行加賀』 9502列車 EF707 敦賀 1971.5.3
北陸本線上り線は敦賀を出ると衣掛山で大きなループを描く。トンネル出口で構えているとEF707が12系の季節急行加賀を牽いて飛び出してきた。ここは小浜線西敦賀から程近いのでC58の合間に北陸本線の列車も楽しめた。
『朝靄をついて』 特別急行2002列車日本海 EF701007 北陸本線今庄 1971.5.3
朝靄の残る今庄の山間いに20系ブルートレイン「日本海」を従えた赤い機関車が姿を現した。EF701007だ。
EF70の1000番台は20系「日本海」を110km/h運転するために登場したカマだ。まさに面目躍如で誇らしげに見えた。
『越路の春』 235列車 ED708 北陸本線今庄 1971.5.3
清々しい五月の朝、甲高いクイル式モーター音を響かせてED70の牽く長編成の各駅停車がやってきた。
芽吹いたばかりの若葉にED70の赤が映える。ED70は量産型交流機のパイオニアとして全機が終生北陸線だけで働き通した。
『初冬の富山平野を行く』 EF81 呉羽 1974年頃
この頃は新鋭交直流電機EF81の増備が進み、貨物列車の先頭にもその姿が見られるようになっていた。
遠くのケヤキもすっかり葉を落とし、富山平野が真っ白になる時季も間もなくである。
『前パンタを上げて』 EF70 呉羽 1974年頃
呉羽から富山へ向かう下り普通列車だろう。何かのついでに撮影したとみえて、このときの記録が見当たらない。牽引機はEF70だがどこか違和感がある。交流機というのは進行方向に対し後位側のパンタグラフを上げるとしたものだが、そうなっていないのだ。EF70はこの頃から上げるパンタが前か後か定まらなくなっていた…。実は、そうではなくてEF70は2位側パンタグラフを常用することに取扱基準が変更になったのだ。
『空コキのある混載貨物を牽いて』 EF7070 呉羽 1974年頃
EF70が前パンタを上げてやってきた。この頃になると車扱混載貨物列車にもコキが多く連結されるようになっていた。有蓋車であれば荷の有無にかかわらず見かけは同じだが、空のコキが多いと何とも締まりのない編成に見えるようになってしまった。
『富山平野の片隅で』EF70⇔EF81 呉羽 1974年頃
すっかり冬の表情となった田んぼの向こうでEF70の牽く短い貨物列車とEF81の単機がすれ違う。
『呉羽山より』 ED70 荷物列車 呉羽 1974.11.25
呉羽山に登れば立山連峰は真正面に高々と聳え立つ。神通川を渡ってやってきたED70牽引の荷物列車はまるで模型のようである。
『常願寺川を渡る』 EF70 北陸本線水橋 1975年頃
常願寺川橋梁を赤い交流機EF70が渡ってくる。晴天なら背後に立山連峰が見晴らせるのだが、あいにくこの日は雲の中だった。日本海縦貫線の貨物列車は蒸機時代から長大で見ごたえがあった。
『立山連峰をバックに』 普通客車列車 EF81 東富山 1977年
蒸機ロスに陥ってしまった私は一時期富山に住んでいながら北陸本線の電機もほとんど撮らなかった。
ようやく古いネガに雪景色の中を行く列車の写真を見つけた。富山の冬は週に5日は雪や雨の荒天だ。低気圧が去った後の雪晴れは、雪がチリホコリを吸い落してくれるのでどこまでも澄み切った青空が広がる。
『雪晴れの富山平野を行く』 EF8120 東富山 1977年
雪国に住んだ経験のある人には、この雪晴れの爽快感はたまらないだろう。何日も続いた風雪が止み、高気圧に覆われると遠くの立山連峰も間近に見える。真っ白になった軌道の上を進み来るEF81のローズピンクが眩しさを通り越してこうごうしい。